大樋長左衛門 (初代)

江戸時代の日本の陶工

初代 大樋 長左衛門(しょだい おおひ ちょうざえもん、寛永8年(1631年) - 正徳2年2月27日1712年4月2日))は、江戸時代陶工大樋焼を創始した。河内生まれ。屋号は荒屋、号は臘月庵。

初代大樋長左衛門作・「聖」

来歴

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河内国土師村(現・大阪府藤井寺市)出身[1]。はじめ土師長左衛門と称す。明暦2年(1656年)から京都・二条瓦町に居住し楽家四代目一入に学んだ[2]のち、寛文6年(1666年)に加賀藩第5代藩主・前田綱紀から茶堂として招かれた。裏千家家元・4代目千宗室(仙叟)に同道し加賀藩に赴き、楽焼の脇窯である大樋焼を始めた。貞享3年(1686年)に仙叟が帰京したあとも金沢に残り、河北郡大樋村(現・金沢市大樋町)で藩の焼物御用を務めて、地名から大樋姓を許される。

死後は、ともに金沢に来た長男が二代目を継いでいる[1]

明治維新以後、大樋焼は藩の御庭焼の地位を失い民間の窯元として生業を立てざるを得なくなったが、大樋焼自体は昭和の茶陶ブームを契機に茶道愛好家や数寄者などを媒介して全国的に知られるようになった。

主な作品

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  • 飴釉手付水指 - 仙叟宗室が金沢を去るにあたり、同じ水指を2個焼かせ、互いに1個ずつ分け持ったとされる[3]
  • 飴釉茶碗 銘「聖」 - 長左衛門が、長次郎の「聖」を写し、さらに仙叟宗室が篦を加えたという[3]
  • 烏香炉 銘「明け烏」[4]

脚注

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  1. ^ a b 『愛蔵版 ふるさと偉人伝』北國新聞社、2010年8月30日、300頁。ISBN 9784833017626 
  2. ^ 石川県観光連盟. “大樋美術館・十一代大樋長左衛門窯”. ほっと石川旅ねっと. 石川県観光協会. 2022年12月18日閲覧。
  3. ^ a b 石川県 (2010年11月25日). “飴釉手付水指・飴釉茶碗 銘聖”. 石川県. 2022年12月18日閲覧。
  4. ^ 石川県 (2016年8月18日). “青井戸茶碗 銘宝樹庵・大樋焼烏香炉”. 石川県. 2022年12月18日閲覧。

関連項目

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