大日本帝国の戦闘一覧
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大日本帝国時代の戦闘一覧(だいにっぽんていこくじだいのせんとういちらん)では、日本の歴史上の、明治時代から終戦(日本の降伏)にかけての戦闘について記述する。例外として戊辰戦争、西南戦争等の明治時代の内戦は記述しない。
本項で呼ばれる「戦い」は複数の兵士により戦闘を交えた出来事であり[1]、「事件」と呼称される場合も合戦の形態である事が多い。また『一揆』では、明治時代序盤に多く発生し、打ちこわしや戦闘に入ったものを記述している。
明治時代
編集- 1894年(明治27年)1月11日 - 1895年(明治28年)3月19日 : 甲午農民戦争、東学農民運動、東学の乱、東学農民革命、東学党の乱(こうご、とうがく、とうがくとう 朝鮮半島)
- 1894年(明治27年)7月23日[注 1] - 1895年(明治28年)4月17日 : 日清戦争、日清戦役 、清日戦争、甲午戦争、甲午中日戦争、明治二十七八年戦、明治二十七八年戦役(にっしん、しんにち、こうご、こうごちゅうにち、めいじにじゅうななねん 朝鮮半島、黄海、遼東半島、山東半島、満洲)
- 1894年(明治27年)7月23日 : 七月二十三日戦争、朝鮮王宮襲撃事件(しちがつにじゅうさんにち、ちょうせんおうきゅう 朝鮮半島景福宮)[2]
- 1894年(明治27年)7月25日 : 豊島沖海戦(ほうとうおき/フォンダオ 朝鮮半島)[3]
- 1894年(明治27年)7月28日 - 7月29日 : 成歓の戦い(せいかん/ソンファン 朝鮮半島忠清道成歓)[4]
- 1894年(明治27年)9月15日 : 平壌の戦い、平壌攻略戦(へいじょう/ピョンヤン 朝鮮半島平安道平壌)
- 1894年(明治27年)9月17日 : 黄海海戦、鴨緑江海戦(こうかい/ホワンハイ、おうりょくこう/アムノクガン 黄海)[7]
- 1894年(明治27年)11月5日 - 11月21日 : 遼東半島平定作戦(りょうとう/リャオトン 遼東半島)
- 1894年(明治27年)10月24日 - 3月9日 : 遼河平原平定作戦(りょうがへいげん 満州・遼河平原)
- 1894年(明治27年)10月24日 - 10月25日 : 鴨緑江作戦、九連城の戦い(おうりょくこう/アムノクガン、くれんじょう 朝鮮半島、満州・鴨緑江)
- 1894年(明治27年)10月26日 : 第一次鳳凰城の戦い(ほうおうじょう 遼河平原・鳳凰城)
- 1894年(明治27年)10月30日 : 大東溝の戦い(だいとうこう 遼河平原・大東溝)
- 1894年(明治27年)10月30日 : 大孤山の戦い(だいこさん 遼河平原・大孤山)
- 1894年(明治27年)11月14日 : 岫巌城の戦い、岫巌城攻略戦(しゅうがんじょう/シゥウイェンじょう 遼河平原・岫巌城)[9]
- 1894年(明治27年)11月25日 : 草河嶺の戦い(くさかわみね 遼河平原・草河嶺)[10]
- 1894年(明治27年)11月26日 : 賽馬集の戦い(さいましゅう 遼河平原・賽馬集)[11]
- 1894年(明治27年)12月5日 : 樊家台の戦い(はんかだい 遼河平原・樊家台)[12]
- 1894年(明治27年)12月9日 : 缸瓦寨の戦い(こうがさい 遼河平原・缸瓦寨)
- 1894年(明治27年)12月12日 : 第二次鳳凰城の戦い、鳳凰城防衛戦(ほうおうじょう 遼河平原・鳳凰城)[13]
- 1894年(明治27年)12月13日 : 海城の戦い、海城攻略作戦[14](かいじょう/ハイチョンじょう 遼河平原・海城)[14]
- 1895年(明治28年)1月10日 : 蓋平の戦い(がいへい/ガイヂョウ 遼河平原・蓋平)
- 1895年(明治28年)1月13日 : 海城攻防戦、海城防衛戦(かいじょう/ハイチョンじょう 遼河平原・海城)[15]
- 1895年(明治28年)1月13日 - 2月21日 : 第一次海城攻防戦、第一次海城防衛戦(だいいちじかいじょう/だいいちじハイチョンじょう 遼河平原・海城)[16]
- 1895年(明治28年)1月22日 : 第二次海城攻防戦、第二次海城防衛戦(だいにじかいじょう/だいにじハイチョンじょう 遼河平原・海城)[17]
- 1895年(明治28年)2月16日 : 第三次海城攻防戦、第三次海城防衛戦(だいさんじかいじょう/だいさんじハイチョンじょう 遼河平原・海城)[18]
- 1895年(明治28年)2月21日 : 第四次海城攻防戦、第四次海城防衛戦(だいよじかいじょう/だいよじハイチョンじょう 遼河平原・海城)[19]
- 1895年(明治28年)1月20日 - 2月12日 : 威海衛の戦い、威海衛作戦(いかいえい/ウェイハイウェイ 山東半島(山東省)威海衛)
- 1895年(明治28年)3月2日 : 遼河平原制圧戦(りょうがへいげん 遼河平原)
- 1895年(明治28年)5月29日 - 10月21日 : 乙未戦争、台湾平定、台湾平定作戦、台湾征討、台湾植民地戦争、台湾鎮定、台湾鎮定戦、台湾征服戦争、台湾防衛戦争、日台戦争[注 3](いつび、たいわん、にったい 台湾全域、澎湖列島)[20][21]
- 1900年(明治33年)6月20日 - 1901年(明治34年)9月7日 : 義和団の乱、義和団事件、義和団事変、義和団運動、北清事変、清国事変、庚子事変、庚子拳乱、扶清滅洋(ぎわだん、ほくしん、しんこく、こうし、ふしん 中国華北、満洲)
- 1900年(明治33年)6月20日 - 8月14日 : 国際公使館包囲戦(こくさいこうしかん 中国・北京)
- 1900年(明治33年)6月10日 - 6月28日 : シーモア遠征(中国・天津)
- 1900年(明治33年)6月16日 - 6月17日 : 大沽砲台の戦い(たいこ/タークー 中国・大沽砲台)
- 1900年(明治33年)6月18日 : 廊坊の戦い(ろうぼう/ランファン 中国)
- 1900年(明治33年)7月14日 : 天津の戦い(てんしん/テンチン 中国・天津)
- 1900年(明治33年)8月5日 : 北倉の戦い(ほくそう/プクチャン 中国・北倉)
- 1900年(明治33年)8月6日 : 楊村の戦い(中国広西省南寧市江東区揚村)
- 1900年(明治33年)8月14日 - 8月15日 : 北京の戦い(ぺきん 中国北京市)
- 1904年(明治37年2月6日 - 1905年(明治38年)9月5日 : 日露戦争、日露戦役、明治三十七八年戦役(にちろ、めいじにじゅうななはちねん 満洲南部、遼東半島、黄海、日本海)[22]
- 1904年(明治37年)2月8日 - 4月15日 : 旅順口攻撃、旅順港奇襲作戦(旅順港閉塞作戦[23]を含む)(りょじゅんこう、りょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)2月8日 : 第一次旅順口攻撃(だいいちじりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)2月11日 : 第二次旅順口攻撃(だいにじりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)2月18日 : 第三次旅順口攻撃(第一次旅順港閉塞作戦)(だいさんじりょじゅんこう、だいいちじりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)3月10日 : 第四次旅順口攻撃(だいよじりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)3月22日 : 第五次旅順口攻撃(だいごじりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)3月27日 : 第六次旅順口攻撃(第二次旅順港閉塞作戦)(だいろくりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)4月7日 : 第七次旅順口攻撃(だいしちりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)4月14日 : 第八次旅順口攻撃(だいよじりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)5月2日 : 第三次旅順港閉塞作戦(だいよじりょじゅんこう 旅順沖)
- 1904年(明治37年)2月9日 : 仁川沖海戦(じんせんおき/インチョンおき 黄海・仁川沖)
- 1904年(明治37年)4月30日 - 5月1日 : 鴨緑江会戦、鴨緑江渡河作戦(おうりょくこう 鴨緑江)
- 1904年(明治37年)5月25日 - 5月26日 : 南山の戦い(なんざん 遼東半島、旅順北方)
- 1904年(明治37年)6月14日 - 6月15日 : 得利寺の戦い(とくりじ 遼東半島・得利寺)
- 1904年(明治37年)6月15日 : 常陸丸事件(ひたちまる 玄界灘)[24]
- 1904年(明治37年)7月17日 : 摩天嶺の戦い(まてんれい 千山山脈、摩天嶺)
- 1904年(明治37年)7月24日 - 7月25日 : 大石橋の戦い(おおいしばし 遼東半島・大石橋)
- 1904年(明治37年)7月31日 - 8月1日 : 析木城の戦い(せきぼくじょう 満州・析木城、海城)
- 1904年(明治37年)8月10日 : 黄海海戦(こうかい 黄海・旅順沖)
- 1904年(明治37年)8月14日 : 蔚山沖海戦(うるさんおき、いさんおき 日本海・蔚山沖)
- 1904年(明治37年)8月20日 : コルサコフ海戦、宗谷沖海戦(そうや オホーツク・コルサコフ沖)
- 1904年(明治37年)8月19日 - 1905年(明治38年)1月1日 : 旅順攻囲戦、203高地の戦い(りょじゅん/リュイシュン、にいまるさんこうち、にひゃくさんこうち 満州・旅順)[8]
- 1904年(明治37年)8月24日 - 9月4日 : 遼陽会戦(りょうよう/リャオヤン 満州・遼陽)
- 1904年(明治38年)10月9日 - 10月20日 : 沙河会戦(さか、又はしゃかと読む 満州・沙河、奉天)
- 1905年(明治38年)1月25日 - 1月29日 : 黒溝台会戦(こっこうだい 満州・黒溝台)
- 1905年(明治38年)2月21日 - 3月10日 : 奉天会戦(ほうてん 満州・奉天)
- 1905年(明治38年)5月27日 - 5月28日 : 日本海海戦、対馬沖海戦(にっぽんかい、にほんかい、つしまおき 日本海)[25]
- 1905年(明治38年)7月7日 - 7月31日 : 樺太の戦い(からふと 樺太)
- 1904年(明治37年)2月8日 - 4月15日 : 旅順口攻撃、旅順港奇襲作戦(旅順港閉塞作戦[23]を含む)(りょじゅんこう、りょじゅんこう 旅順沖)
大正時代
編集- 1914年(大正3年)6月1日 - 8月31日 : 太魯閣戦争(たろこ 台湾)
- 1914年(大正3年)7月28日 - 1918年(大正7年)11月11日 : 第一次世界大戦(だいいちじせかい ヨーロッパ、中東、アフリカ、中国、太平洋等
- 1917年(大正6年)11月7日 - 1923年(大正11年)6月16日 : ロシア内戦
- 1919年(大正8年)3月1日 - 4月11日 : 三・一運動、三・一事件、三・一独立運動、朝鮮騒擾事件、独立万歳運動、万歳事件(さん・いち、ちょうせん、どくりつばんざい、ばんざい 朝鮮半島)
- 1920年(大正9年)6月6日 - 6月7日 : 鳳梧洞戦闘(満州・鳳梧洞)
- 1920年(大正9年)10月 - 12月頃 : 間島出兵(かんとう 中華民国吉林省間島)
昭和時代
編集- 1927年(昭和2年)3月24日 : 第一次南京事件(中国江蘇省・南京)
- 1928年(昭和3年)5月3日 : 済南事件、五・三惨案(せいなん、ご・さん 中華民国山東省・済南)
- 1931年(昭和6年)9月18日 - 1932年(昭和7年)2月18日 : 日本の満洲侵攻(一般に満洲事変)、九一八事変(まんしゅう、きゅういちはち 満洲、内蒙古)
- 1931年(昭和6年)9月18日 : 柳条湖事件、柳条溝事件、奉天事変(りゅうじょうこ、りゅうじょうこう、ほうてん 満洲・柳条湖)
- 1931年(昭和6年)10月8日 : 錦州爆撃(きんしゅう 満洲・錦州)
- 1931年(昭和6年)11月4日 - 11月18日 : 江橋作戦(こうきょう 満洲・江橋)
- 1931年(昭和6年)11月4日:寧江橋の戦い(ねいこう 満洲・寧江橋)
- 1931年 - 1932年(昭和6年 - 7年)12月21日 - 1月3日 : 錦州の戦い(きんしゅう 満洲・錦州)
- 1932年(昭和7年)1月25日 - 2月4日 : 哈爾浜の戦い(はるびん/ハルピン 満洲・哈爾浜)
- 1932年(昭和7年)1月28日 - 3月3日 : 第一次上海事変(だいいちじシャンハイ 中国上海市)
- 1933年(昭和7年)4月頃 - 1936年(昭和10年)12月頃 : 内モンゴル作戦(うちもんごる 内モンゴル)
- 1932年(昭和7年)3月1日 - 1939年(昭和13年)9月16日 : 日ソ国境紛争、満ソ国境紛争、満蒙国境紛争(にっソ、まんソ、まんもう 満洲国、ソビエト連邦・外蒙古国境)
- 1935年(昭和10年)3月15日 : 哈爾哈廟事件(はるはびょう 内モンゴルブイル湖北東部・哈爾哈廟)
- 1935年 - 1936年(昭和10年 - 11年)12月19日 - 2月15日 : オラホドガ事件(満洲国、外蒙古国境・オラホドガ)
- 1936年(昭和11年)1月19日 - 2月1日 : 金廠溝事件(きんしょうこう 満洲国、ソビエト連邦・金廠溝)
- 1937年(昭和12年)6月19日 : 乾岔子島事件(かんちゃずとう 満洲国、ソビエト連邦国境・乾岔子島)
- 1938年(昭和12年)7月29日 - 8月11日 : 張鼓峰事件、ハサン湖事件(ちょうこほう)
- 1939年(昭和13年)5月11日 - 9月16日 : ノモンハン事件(満洲国、モンゴル国国境・ハルハ川付近)
- 1939年(昭和13年)5月26日 - 5月27日 : 東安鎮事件(とうあんちん 満洲国、ソビエト連邦国境(アムール川・偏瞼子島))
- 1937年(昭和12年)6月4日 - 6月5日 : 普天堡の戦い、普天堡事件、普天堡襲撃事件(ふてんほ/ポチョンボ 朝鮮半島・咸鏡南道普天郡)
- 1937年(昭和12年)7月7日 - 1945年(昭和20年)9月9日 : 日中戦争、支那事変、日華事変、日支事変、中日戦争、抗日戦争、八年抗戦、中国抗日戦争、中国人民抗日戦争(にっちゅう、ちゅうにち、にっか、にっし、しな、こうにち、はちねん、ちゅうごくこうにち、ちゅうかじんみんこうにち 中華民国、イギリス領ビルマ)[26]
- 1937年(昭和12年)7月7日 - 7月9日 : 盧溝橋事件、蘆溝橋事件、芦溝橋事件、七七事変、マルコ・ポーロ橋事件(ろこうきょう、ろこうきょう、ろこうきょう、しちしち、マルコ・ポーロきょう 中国北京南西部)
- 1937年(昭和12年)7月28日 - 7月30日 : 平津作戦(へいしん 中国河北省・平津)
- 1937年(昭和12年)8月9日 - 10月17日 : チャハル作戦、察哈爾作戦(チャハル 中国察哈爾省、綏遠省)
- 1937年(昭和12年)8月13日 - 11月12日 : 第二次上海事変、上海戦(だいにじシャンハイ、シャンハイ 中国上海市)
- 1937年(昭和12年)8月上旬 - 11月中旬 : 津浦線作戦(しんぽせん 中国・津浦線)
- 1937年(昭和12年)8月中旬 - 12月頃 : 京漢線作戦(けいかんせん 中国・京漢線)
- 1937年(昭和12年)9月下旬 - 11月8日 : 太原作戦、太原会戦、太原攻略戦、山西作戦(たいげん、さんせい 中国山西省太原市)
- 1937年(昭和12年)12月4日 : 12月13日 : 南京戦、南京攻略戦、南京保衛戦[注 4](なんきん 中国南京市)
- 1938年(昭和13年)4月7日 - 5月19日 : 徐州会戦、徐州作戦(じょしゅう 江蘇省徐州市、山東省南部、安徽省、河南省開封市)
- 1938年(昭和13年)5月頃 - 6月頃 : 河南省北東部方面戦線(かなんしょうほくとうぶほうめん 中国河南省北東部)
※以下の表記の注意 : 実際に行われた戦争、戦闘→戦:〇〇作戦、計画された作戦→ 作:〇〇作戦と表記する。
- 1941年(昭和17年)12月8日 - 1945年(昭和20年)8月15日 : 戦:太平洋戦争、大東亜戦争(たいへいよう、だいとうあ 太平洋、オセアニア州(ミクロネシア、メラネシア、ポリネシア)、東南アジア、中国、日本列島、アリューシャン列島、インド洋、マダガスカル島など)
- 1941年(昭和16年)12月6日 - 1945年(昭和20年)8月1日 : 作:南方作戦、第一段作戦、あ号作戦(なんぽう、だいいちだん、あごう 太平洋(マレー、フィリピン、香港、グアム、ビスマルク、ボルネオ、インド))
- 1941年(昭和16年)12月8日 : 戦:真珠湾攻撃、布哇比海戦、ハワイ海戦(しんじゅわん、ハワイ アメリカ合衆国ハワイ準州(当時)・真珠湾)
- 1942年(昭和17年)1月31日 - 7月1日 : 作:FS作戦(エフエス フィジー、サモア方面)
- 1942年(昭和17年)3月4日 : 戦:第一次K作戦(だいいちじケー アメリカ合衆国ハワイ準州(当時)・真珠湾)
- 1945年(昭和20年)2月19日 - 3月26日 : 戦:硫黄島の戦い、デタッチメント作戦(いおうとう、いおうじま 東京都硫黄島村)
- 1945年(昭和20年)3月26日 - 9月7日 : 沖縄戦、沖縄の戦い、沖縄作戦(おきなわ 沖縄県・沖縄本島、琉球諸島等)
- 1945年(昭和20年)3月23日 - 3月31日 : 慶良間諸島の戦い(けらましょとう 沖縄県(沖縄諸島)慶良間諸島)
- 1945年(昭和20年)3月23日 - 4月1日 : 先島諸島の戦い(さきしま 沖縄県(琉球諸島[注 5])先島諸島)
- 1945年(昭和20年)4月6日 - 6月22日 : 菊水作戦(きくすい 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)4月6日 - 4月11日 : 菊水一号作戦(きくすいいちごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)4月12日 - 4月15日 : 菊水二号作戦(きくすいにごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)4月16日 - 4月17日 : 菊水三号作戦(きくすいさんごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)4月21日 - 4月29日 : 菊水四号作戦(きくすいよんごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)5月3日 - 5月9日 : 菊水五号作戦(きくすいごごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)5月11日 - 5月14日 : 菊水六号作戦(きくすいろくごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)5月24日 - 5月27日 : 菊水七号作戦(きくすいしちごう、きくすいななごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)5月28日 - 5月29日 : 菊水八号作戦(きくすいはちごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)6月3日 - 6月7日 : 菊水九号作戦(きくすいくごう、きくすいくごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)6月21日 - 6月22日 : 菊水十号作戦(きくすいじゅうごう 沖縄本島周辺海域)
- 1945年(昭和20年)4月7日 : 坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおき 鹿児島県南さつま市・坊ノ岬[27]沖)
- 1945年(昭和20年)4月8日 - 4月23日 : 嘉数の戦い(かかず[注 6]のたたかい 沖縄県宜野湾村・嘉数高地)
- 1945年(昭和20年)5月12日 - 5月18日 : シュガーローフの戦い(沖縄県島尻郡真和志村・慶良間チージ(シュガーローフ))
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 9月5日 : 戦:ソ連対日参戦、日ソ戦(ソれんたいにっさん、にっソせん 満州国、樺太、千島列島、内蒙古、朝鮮半島、華北地方)[28]
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 8月20日 : 戦:ソビエト連邦の満洲侵攻(そびえとれんぽうのまんしゅう 満洲国)
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 9月2日 : 戦:哈爾濱・吉林の戦い(ハルビン・きつりん 哈爾濱・吉林)
- 1945年(昭和20年)8月11日 - 8月25日 : 戦:樺太の戦い(からふと 南樺太)
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 9月2日 : 戦:松花江の戦い(しょうかこう 満洲・松花江)
- 1945年(昭和20年)8月11日 - 8月22日 : 戦:ソビエト連邦の朝鮮侵攻(そびえとれんぽうのちょうせん 朝鮮半島)
- 1945年(昭和20年)8月18日 - 9月1日 : 戦:ソビエト連邦の千島列島侵攻(そびえとれんぽうのちしまれっとう 千島列島)
- 1945年(昭和20年)11月頃 : 作:本土決戦(ほんど 全国)日本の降伏により中止
- 1945年(昭和20年)8月14日 - 8月15日 : 宮城事件[31]、八・一五事件[32]、終戦反対事件(きゅうじょう、はち・いちご、しゅうせんはんたい 日本東京都麹町区・皇居(宮城))[33]
- 1945年(昭和20年)8月15日 : 愛宕山事件(あたごやま 日本東京都港区・愛宕山)[34]
- 1945年(昭和20年)8月15日 : 厚木航空隊事件(あつぎこうくうたい 日本神奈川県綾瀬市、大和市・厚木海軍飛行場)[35]
- 1945年(昭和20年)8月17日 - 1949年(昭和24年)12月17日 : インドネシア独立戦争、インドネシア独立革命(インドネシア)大日本帝国の志願兵が参加
- 1945年(昭和20年)8月24日 : 川口放送局占拠事件(かわぐちほうそうきょく 日本埼玉県川口市・川口放送所鳩ヶ谷放送所)[36]
- 1945年(昭和20年)8月24日 : 松江騒擾事件、皇国義勇軍事件、島根県庁焼き打ち事件(まつえ、こうこくぎゆう、しまねけんちょう 日本島根県松江市・島根県庁)
- 1945年(昭和20年)9月13日 - 1946年(昭和21年)3月30日 : マスタードム作戦、南部抗戦(なんぶ 南ベトナム[注 9])大日本帝国が参加
脚注
編集注釈
編集- ^ 7月25日とも呼称されてもいるが本項では、「七月二十三日戦争」が起きた7月23日を開戦日とする。
- ^ 「安城渡の戦い」と呼ばれるが実際には佳龍里で戦闘が発生した。
- ^ 「日台戦争」は多く使われる用語ではない。
- ^ この「南京保衛戦」と言う中国側の呼称は、「上海戦(第二次上海事変)」と併せて、上海南京保衛戦とも呼ばれているものの、上海戦と混合してしまう為本項では別名として記述しない。
- ^ 尖閣諸島を含む場合がある。
- ^ かかじとも呼ばれる場合がある。
- ^ 北海道侵攻計画の第一歩である「占守島の戦い」は、8月に行われた。
- ^ 主に太平洋側(関東、九州)
- ^ 北緯16度線以南が主な主戦場である。
出典
編集- ^ “合戦とは”. コトバンク. 2022年6月17日閲覧。
- ^ “日清戦争は景福宮で始まった”. 朝日新聞. 2022年5月21日閲覧。
- ^ “豊島沖海戦とは”. コトバンク. 2022年5月21日閲覧。
- ^ 原田敬一, 戦争の日本史19 『日清戦争』, pp. 74-86
- ^ 原田敬一, 戦争の日本史19 日清戦争, pp. 87-90
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