大慈寺 (八戸市長者)

青森県八戸市にある寺院

大慈寺(だいじじ)は、青森県八戸市長者にある曹洞宗の寺院。山号は福聚山。本尊聖観世音菩薩。本堂、山門、経蔵は県から重宝(有形文化財)に指定されている。糠部三十三観音霊場第9番札所、八戸御城下三十三観音霊場第7番札所。

大慈寺

大慈寺山門(2019年3月)
所在地 青森県八戸市長者1-6-59
位置 北緯40度30分7秒 東経141度29分26.8秒 / 北緯40.50194度 東経141.490778度 / 40.50194; 141.490778座標: 北緯40度30分7秒 東経141度29分26.8秒 / 北緯40.50194度 東経141.490778度 / 40.50194; 141.490778
山号 福聚山
宗派 曹洞宗
本尊 聖観世音菩薩
創建年 応永18年(1411年
札所等 糠部三十三観音霊場第9番札所
八戸御城下三十三観音霊場第7番札所
文化財 本堂、山門、経蔵
(県指定有形文化財)
法人番号 1420005002808 ウィキデータを編集
大慈寺 (八戸市長者)の位置(青森県内)
大慈寺 (八戸市長者)
大慈寺 (八戸市長者)の位置(日本内)
大慈寺 (八戸市長者)
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歴史

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創建は1411年応永18年)、当時の根城城主、八戸南部家の南部長経が安東氏との戦いで功を挙げた萬松寺(秋田県鹿角市)の宝山正弥和尚を招き、八戸市松館に開山したのが始まりと伝承される。以来、八戸南部家の菩提寺として寺領100石が寄進されるなど庇護され、隆盛した。しかし奥州仕置以降、八戸南部家は三戸南部家の従属関係となり1627年寛永4年)、盛岡城の支城である鍋倉城に移封となり、当寺も遠野に随行した。八戸は一時廃寺となったが、1664年(寛文4年)、 盛岡藩南部利直 が寺領50石を寄進し、玄龍和尚を招き中興開山した。天保年間に本格的な整備。1875年明治8年)、糠塚と松館が同じ大慈寺として独立し、その後当寺を本寺、松館を末寺とした。

文化財

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  • 2018年平成30年)8月20日、以下3点が県重宝に指定された。

本堂

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  • 1805年文化2年)再建。木造、内部に和様の出三斗を円柱及び中備に組んだ意匠は他、県内に見られない。

山門

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  • 1831年天保2年)創建。八脚楼門建築で三間一戸、入母屋造、鉄板葺。上層部には花頭窓、高欄付。十六羅漢像が安置されている。下層部通路開口部の上部が琴柱火燈。1963年昭和38年)、八戸市から文化財に指定された。

経蔵

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  • 1858年安政5年)創建。宝形造、桟瓦葺、行3間3間、裳階付。内部には八角形で回転する経棚が設定されている。外見は2層に見えるが、1層。山門と同時期に八戸市指定有形文化財となった。

関連項目

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外部リンク

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