大和町毛受
愛知県一宮市の地名
大和町毛受(やまとちょうめんじょ)は、愛知県一宮市にある地名。字が14ある。
大和町毛受 | |
---|---|
北緯35度17分56.5秒 東経136度46分34.8秒 / 北緯35.299028度 東経136.776333度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 一宮市 |
町名制定 | 1955年(昭和30年) |
面積 | |
• 合計 | 0.678911921 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,740人 |
• 密度 | 4,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
491-0932[WEB 3] |
市外局番 | 0586(一宮MA)[WEB 4] |
ナンバープレート | 一宮 |
地理
編集南は大和町苅安賀・苅安賀1丁目、北は寺前町・竹橋町・日光町に接する。
現行字
編集(五十音順・Yahoo!地図によった[WEB 5])
- 一本松(いっぽんまつ)
- 北河原(きたかわら)
- 城之腰(しろのこし)
- 辻畑(つじばた)
- 伝治腰(でんじごし)
- 中屋敷(なかやしき)
- 西池田(にしいけだ)
- 西屋敷(にしやしき)
- 八法寺(はちほうじ)
- 八幡前(はちまんまえ)
- 浜田(はまだ)
- 東屋敷(ひがしやしき)
- 正寺(まさでら)
- 宮東(みやひがし)
歴史
編集町名の由来
編集『塩尻』は、物部氏の一族である百舌鳥(もず)氏から分かれ諸国に散った者のうち、尾張国中島郡に定住した者が「毛受(もず)」の表記に変え、さらに読みが「めんじょう」と転じたものであるとしている[1]。『尾張国地名考』によれば、大和国の毛受(鵙)村に由来し[2]、読みが「もず」から「めんじょう」に転じた時期を鎌倉時代以降であるとしており、江戸時代には「めんじょう」と読まれており、現在の「めんじょ」の発音に変化したのはそれ以降とみられる[1]。「めんしょ」「めんじょう」とも称する[2]。
過去に存在した字
編集(中島郡毛受村当時の字・愛知県地名収攬102ページによった・太字は現存)
- 馬引前 まひきまえ
- 北河原(きたがわら)
- 多喜(だき)
- 城之腰(しろのこし)
- 西池田(にしいけだ)
- 古井堀(ふるいぼり)
- 傳治腰(でんじごし)
- おたん畑(おたんはた)
- 辻(つじ)
- 壱本橋(いっぽんばし)
- 八法寺(はちほうじ)
- 浜田(はまだ)
- 正寺(しょうじ)
- 一本松(いっぽんまつ)
- 田嶋(たじま)
- 大辰巳(おおだつみ)
- 南木西(なんぎにし)
- 桺原(やなぎはら)
- 岩堀(いわほり)
- 切崎(きれさき)
- 流(ながれ)
- 清水田(しみずだ)
- 藤ノ木(ふじのき)
- 東屋敷(ひがしやしき)
- 中屋敷(なかやしき)
- 西屋敷(にしやしき)
- 山浦(やまうら)
- 八幡前(はちまんまえ)
- 宮東(みやひがし)
- 下河原(しもがわら)
- 上河原(かみがわら)
またこのほか、嘉慶2年(1388年)8月13日付の「妙興寺領坪付注文」(妙興寺文書)には村内字として
- 瓦堂前
- 莇田
- 東村
- 八王子後
- 深沼
- 鎌田
- 西奈木
- 高畠
- 筧口前
の字が記録されている[3]。
沿革
編集- 江戸時代 - 尾張国中島郡の尾張藩領北方代官所支配の毛受村として所在[4]。
- 1889年(明治22年) - 合併に伴い、日光村大字毛受となる[4]。
- 1906年(明治39年) - 合併に伴い、苅安賀村大字毛受となる[4]。
- 1908年(明治41年) - 合併に伴い、大和村大字毛受となる[4]。
- 1930年(昭和5年) - 愛知県令「愛知県毛織物検査規則」発布により、愛知県立毛織物検査所一宮支所が設置される[5]。
- 1951年(昭和26年) - 町制施行に伴い、大和町大字毛受となる[4]。
- 1955年(昭和30年) - 合併に伴い、一宮市大和町毛受となる[4]。
- 1970年(昭和45年) - 一部が神山1~3丁目・平和1~3丁目・末広1~3丁目・住吉1~2丁目となる[4]。
- 1973年(昭和48年) - 一部が八幡1~5丁目となる[4]。
世帯数と人口
編集2019年(平成31年)4月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 2]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大和町毛受・ 大和町毛受字一本松 |
115世帯 | 282人 |
大和町毛受字北河原 | 189世帯 | 371人 |
大和町毛受字城之腰 | 49世帯 | 115人 |
大和町毛受字辻畑 | 32世帯 | 82人 |
大和町毛受字伝治腰 | 11世帯 | 27人 |
大和町毛受字中屋敷 | 105世帯 | 254人 |
大和町毛受字西池田 | 15世帯 | 35人 |
大和町毛受字西屋敷 | 166世帯 | 379人 |
大和町毛受字八法寺 | 21世帯 | 51人 |
大和町毛受字八幡前 | 46世帯 | 108人 |
大和町毛受字浜田 | 188世帯 | 400人 |
大和町毛受字東屋敷 | 136世帯 | 366人 |
大和町毛受字正寺 | 55世帯 | 142人 |
大和町毛受字宮東 | 63世帯 | 128人 |
計 | 1,191世帯 | 2,740人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
1995年(平成7年) | 2,767人 | [WEB 6] | |
2000年(平成12年) | 2,737人 | [WEB 7] | |
2005年(平成17年) | 2,644人 | [WEB 8] | |
2010年(平成22年) | 2,692人 | [WEB 9] | |
2015年(平成27年) | 2,686人 | [WEB 10] |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[WEB 11]。
大字 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
大和町毛受 大和町毛受字八幡前(一部) 大和町毛受字宮東 |
一宮市立神山小学校 | 一宮市立中部中学校 |
その他 | 一宮市立大和西小学校 | 一宮市立大和中学校 |
交通
編集施設
編集- 真宗大谷派竜明寺
史蹟
編集- 『尾張志』は「浅井新八郎家老浅井玄蕃屋敷跡」とし、『新編一宮市史』は字城之越地内に比定し、苅安賀城の浅井新八郎の弟の砦であると推定している[5]。
出身者
編集- 毛受(鵜飼)庄左衛門尉勝明[5]
- 毛受良三
その他
編集日本郵便
編集脚注
編集WEB
編集- ^ “愛知県一宮市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年5月19日閲覧。
- ^ a b “一宮市の人口町丁字別(Excel)”. 一宮市 (2019年4月8日). 2019年5月19日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年5月19日閲覧。
- ^ “愛知県一宮市大和町毛受”. 2014年4月22日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ “一宮市立小中学校区一覧表”. 一宮市 (2017年5月30日). 2019年5月19日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年5月18日閲覧。
文献
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月。ISBN 4-04-002230-0。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、大和町毛受に関するカテゴリがあります。