多久茂鄰
多久 茂鄰(たく しげちか)は、江戸時代中期から後期にかけての武士。肥前国佐賀藩士。多久鍋島家(後多久氏)9代当主。
多久茂鄰 | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 宝暦9年10月28日(1759年12月17日) |
死没 | 文政10年5月14日(1827年6月8日) |
改名 | 龍三郎(幼名)、茂鄰 |
墓所 | 佐賀県多久市円通寺 |
主君 | 鍋島治茂、斉直 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 後多久氏(多久鍋島家) |
父母 | 多久茂堯、田中忠右衛門娘 |
兄弟 | 兼連、茂孝、茂鄰、鍋島茂郷 |
妻 | 鍋島茂真長女勝 |
子 | 茂澄、お橘ら |
略歴
編集宝暦9年(1759年)10月28日、7代当主・多久茂堯の妾腹の三男として誕生。幼名は龍三郎。正室は神代鍋島茂真長女・勝。
安永5年(1776年)兄・茂孝の養子となる。天明元年(1781年)茂孝が病弱を理由に隠居し家督相続。
安永7年(1778年)藩の当役(請役家老)となる。天明7年(1787年)久留米藩との境界争いの交渉を認められ、藩主より太刀と時服を賜った。文化11年(1814年)藩が大坂の借銀主に対して発行していた空米切手が不渡りになり、財政悪化の責任を問われて請役を罷免され、隠居を命じられたため三男茂澄に家督を譲る。