多久 茂明(たく しげあき)は、江戸時代中期の武士肥前国佐賀藩士。須古鍋島家7代当主。多久鍋島家(後多久氏)6代当主。

 
多久茂明
多久茂明
時代 江戸時代中期
生誕 元禄6年10月16日1693年11月13日
死没 元文4年8月20日1739年9月22日
別名 因幡、美作
墓所 佐賀県佐賀市本庄町の慶誾寺
主君 鍋島吉茂宗茂
肥前佐賀藩
氏族 須古鍋島家後多久氏(多久鍋島家)
父母 鍋島茂清
多久茂文
多久茂文次女・曽雄
茂堯
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略歴

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元禄6年(1693年)10月16日、鍋島茂清の子として誕生。宝永2年(1705年)3月、父・茂清の死去により須古家の家督を相続した。正徳4年(1714年多久茂村が実家の小城鍋島家を相続することとなり、藩主・鍋島吉茂の命により、叔父・茂族に須古家の家督を譲り、正室の実家多久鍋島家(後多久氏)を相続した。

養父・多久茂文の意思を継いで儒学を尊崇し、正徳5年(1715年)に茂文が建てた多久聖廟の祭費や文武稽古料として、領内花祭村、杵島村の内高200石を寄付し、享保7年(1722年)には椎原山を昌平山と改称し、聖廟補修の費用のため寄付した。享保8年(1723年)当役(請役家老)となる。

元文4年(1739年)8月20日死去。享年47。

系譜

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参考文献

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