増田 (名取市)
増田(ますだ、英語: Masuda)は、宮城県名取市の多くの小字および増田一丁目から九丁目までを擁する町字かつ、名取市の地区名であり、大字増田は旧名取郡増田郷の一部、旧名取郡増田村[注 1]の一部、旧名取郡増田村のち増田町の大字増田の一部[注 2]に該当する。増田一丁目から増田九丁目にて住居表示を実施している[5]。大字増田の郵便番号は981-1224[2]。名取市ホームページによると、増田(町字)の2022年(令和4年)6月末時点での域内の人口は8,140人であり、世帯数は3,811人である[1]。この項では、主に町字の増田について解説する。
増田 | |
---|---|
大字・町丁 | |
北緯38度10分18.5秒 東経140度53分8.5秒 / 北緯38.171806度 東経140.885694度座標: 北緯38度10分18.5秒 東経140度53分8.5秒 / 北緯38.171806度 東経140.885694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 名取市 |
行政区 |
増田地区 増田西地区 館腰地区 |
人口情報(2022年6月現在[1]) | |
人口 | 8,140 人 |
世帯数 | 3,811 世帯 |
設置日 | 1958年(昭和33年)10月1日 |
郵便番号 | 981-1224[2] |
市外局番 | 022(仙台MA)[3] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード[4] | 04506-0011 |
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地理
編集増田は、東部で杜せきのしたや下余田と、西部で手倉田や大手町と、南部で飯野坂と、北部で上余田と接し、旧名取川と旧阿武隈川の自然堤防上に立地している[6]。名取駅を中心に栄えており、住宅街や商業施設が展開し、名取市の中心的地域としての役割を担っている[6]。しかし、増田字大畔や増田字猫塚に該当する地域は田畑が多く、住宅街はあまり見られない[6]。
江戸時代から、奥州街道の宿場町として発展していたこともあり、所々にその名残がある[6]。
河川
編集- 増田川
小字
編集名取市例規「町及び字の名称」によると、2022年7月1日現在における増田の小字は以下の通りである[7]。
- 北谷
- 柳田
- 関下
- 後島
- 猫塚
- 大畔
- 後島北
- 後島南
- 町西裏
- 北柳田
- 中柳田
- 丁地
- 前流
- 宮田
行政区
編集増田地区と増田西地区、館腰地区の三つの地区が大字増田を占めており、それぞれその下に数多の行政区を擁する[8]。以下は2021年5月1日に施行された名取市行政区設置規則による行政区である[8]。
地区 | 行政区 | 住所 |
---|---|---|
増田地区 | 本町一区 | 一丁目の一部、二丁目の一部、増田字柳田の一部、増田字町西裏の一部 |
本町二区 | 一丁目の一部、二丁目の一部、三丁目の一部、増田字柳田の一部 | |
北町一区 | 二丁目の一部、三丁目の一部 | |
北町二区 | 二丁目の一部、三丁目の一部、四丁目の一部、五丁目の一部 | |
北町三区 | 増田字北谷、増田字柳田の一部 | |
田高町東第一区 | 五丁目の一部 | |
田高町東第二区 | 七丁目の一部、九丁目の一部 | |
田高町西第一区 | 四丁目の一部 | |
田高町西第二区 | 六丁目、八丁目の一部 | |
田高第二区 | 七丁目の一部、八丁目の一部、九丁目の一部 | |
上余田南区区 | 九丁目の一部 | |
上余田中区 | 八丁目の一部 | |
村区 | 増田字柳田の一部、増田字関下、増田字後島、増田字猫塚、増田字大畔、増田字後島南、増田字後島北 | |
増田西地区 | 大手町一丁目区 | 増田字町西裏の一部 |
大手町二丁目区 | 増田字町西裏の一部 | |
館腰 | 飯野坂北一区 | 増田字町西裏の一部 |
地価
編集歴史
編集古くは増田は益田、まし田(ました)といった名称でも呼称され、当地の名(益田)が残っている最古の書物は1352年(観応3年)4月29日の名取熊野堂文書であるとされる。同状には
於名取郡〓〓〓田宿居関所 — 名取熊野堂文書吉良貞家軍勢催促状
とあり、欠字部分は南方益と考えられている[10]。これは熊野堂別当御房に益田宿に関所を設け、凶徒らの尋究など警護をするよう命じられており、増田一帯が北朝方の勢力下にあったとされる[10]。さらに1386年(至徳3年[注 6])12月2日の相馬文書によると
陸奥国名取郡南方増田郷内下村 — 相馬文書相馬胤頼宛石橋棟義宛行状
とあり、増田郷が本郷(現在の大字増田と考えられる)と下郷(現在の大字下増田と考えられる)に分かれていたことを示す[11]。
江戸時代になると、仙台藩が増田を支配し、増田は名取郡南方三十村の一村として含まれた。また、奥州街道の付替以後、宿駅(増田宿)が置かれ、正保郷帳による田畑の貫高はそれぞれ、田は194貫838文、畑は13貫124文、元禄郷帳による村高は1,494石余、天保郷帳による村高は1,713石余、封内風土記による戸数208であったとされる[11][12]。駅の定員は、1864年(元治元年)の名取・柴田・刈田3郡18駅検断連署によると、馬15頭、人足15人、1855年(安政2年)からは馬25頭、人足25人となっている[11]。道中往来歌には
長町や中田の馬を増田まで、もの岩沼に槻木の土手、船迫恋しき人に大河原、変わらぬ色ちぎる金ヶ瀬、宮たちはさも白石の鎧越し斎川なれど越河の関 — 道中往来歌
とある[13]。
1602年(慶長7年)になると、名取郡北方の長町とともに郡奉行の下に代官所が増田に置かれた[11][10]。
近代になると、増田は戸数187、男573人、女1,165人、牡馬77頭、日本形船3隻、人力車32台、荷車3台であり、民業は農業が143、工業14、商業25であったとされる[注 7]。
1876年(明治9年)に明治天皇が東北巡幸の際にこの地を訪れ、江戸時代終期から明治時代にかけて名取郡増田北町の肝入検断をつとめた菊池善蔵邸内の庭で休息をとっていた際、随行者の木戸孝允が庭にあった老松をみて、
大君の立寄りまし陰なれば、 衣笠の松とこそいうなかりけれ — 木戸孝允
と和歌を詠んだとされる[14]。これにちなんで、その松は衣笠の松と命名された[14]。
沿革
編集- 南北朝時代 - 名取郡に現在の増田地域の原形となる増田郷が成立する[11]。
- 観応年間 - 北朝側の勢力下となる[11]。
- 1602年(慶長7年) - 増田に郡奉行の下、代官所が置かれる[10]。
- 1613年(慶長18年) - 域内に駅が設置される[11]。
- 1650年(慶安3年) - 域内に町場ができる[11]。
- 1655年(承応4年) - 増田が宿駅に指定される[11]。
- 1869年(明治元年) - 陸奥国が分割されて、磐城国の所属となる[11]。
- 1871年(明治4年) - 仙台県の所属となる[11]。
- 1876年(明治9年) - 明治天皇が当地を訪れる[14]。
- 1880年(明治13年) - 増田郵便局が開局する[11]。
- 1888年(明治21年) - 日本鉄道増田駅が開設する[11]。
- 1889年(明治22年) - 増田村、田高村、上余田村、下余田村、手倉田村が合併し、町村制を施行。増田村の大字増田となる[11]。
- 1896年(明治29年) - 増田村が町制を施行し、増田村の大字増田は増田町の大字増田となる[11]。
- 1901年(明治34年) - 宮城県として、初の耕地整理の土木事業が実施された[15]。
- 1914年(大正3年) - 東北実業銀行増田支店が開店する[11]。
- 1926年(大正15年)
- 1955年(昭和30年) - 名取町の成立に伴い、名取町の大字増田となる[11]。
- 1958年(昭和33年) - 名取町が市制施行し、名取市が成立。名取市の大字増田となる[11]。
- 1975年(昭和50年) - 増田一丁目から増田九丁目にて住居表示を実施[5]。
名称の由来
編集施設
編集- 名取岩沼農業協同組合本店(増田一丁目12-36)[18]
- 宅建センター(増田一丁目12-36)[18]
- 名取給油所(増田一丁目12-36)[18]
- 衣笠の松(増田二丁目2-1)[14]
- 七十七銀行増田支店(増田二丁目2-7)[19]
- 名取岩沼農業協同組合増田支店(増田二丁目6-34)[18]
- 名取市立増田小学校(増田三丁目9-2)[20]
- 名取市増田児童センター(増田三丁目9-56)[21]
- 名取市図書館(増田四丁目7-30)[22]
- 名取市増田公民館(増田四丁目7-30)[23]
- 名取増田郵便局(増田五丁目3-18)[24]
- 岩沼警察署増田交番(増田五丁目18-30)[25]
- 名取市消防本部(増田五丁目18-32)[26]
- 名取市役所(増田字柳田80)[27]
- 宮城県名取北高等学校(増田字柳田103)[28]
- 名取市立増田中学校(増田字柳田230)[29]
- 名取市民体育館(増田字柳田250)[30]
- 名取市文化会館(増田字柳田520)[31]
- 仙台法務局名取出張所(増田字柳田570-2)[32]
交通
編集鉄道
編集道路
編集バス
編集統計
編集人口
編集名取市によると2022年(令和4年)6月末時点での大字増田の人口および世帯数の統計は以下の通りである[1]。
住所 | 世帯数 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|---|
増田一丁目 | 404世帯 | 446人 | 436人 | 882人 |
増田二丁目 | 582世帯 | 532人 | 573人 | 1,105人 |
増田三丁目 | 443世帯 | 463人 | 512人 | 975人 |
増田四丁目 | 582世帯 | 540人 | 600人 | 1,140人 |
増田五丁目 | 433世帯 | 418人 | 464人 | 882人 |
増田六丁目 | 409世帯 | 428人 | 431人 | 859人 |
増田七丁目 | 373世帯 | 418人 | 478人 | 896人 |
増田八丁目 | 137世帯 | 161人 | 189人 | 350人 |
増田九丁目 | 73世帯 | 77人 | 94人 | 171人 |
増田字北谷 | 114世帯 | 139人 | 135人 | 274人 |
増田字柳田 | 180世帯 | 197人 | 193人 | 390人 |
増田字関下 | 14世帯 | 20人 | 11人 | 31人 |
増田字後島 | 59世帯 | 85人 | 81人 | 166人 |
増田字猫塚 | 5世帯 | 4人 | 4人 | 8人 |
増田字大畔 | 0世帯 | 0人 | 0人 | 0人 |
増田字後島南 | 1世帯 | 2人 | 1人 | 3人 |
増田字後島北 | 2世帯 | 5人 | 3人 | 8人 |
増田字西裏 | 0世帯 | 0人 | 0人 | 0人 |
増田字東裏 | 0世帯 | 0人 | 0人 | 0人 |
合計 | 3,811世帯 | 3,955人 | 4,185人 | 8,140人 |
学区
編集名取市立学校の通学区域等に関する規則によると、公立小中学校の場合、域内の児童は名取市立増田小学校と名取市立増田中学校に進学する[35]。
地区名としての増田
編集増田地区(ますだちく)は名取市の地区名であり、2021年(令和3年)7月末時点において、人口、世帯数共に名取市内で最も多い地区である[36]。本町一区、本町二区、北町一区、北町二区、北町三区、田高町東第一区、田高町東第二区、田高町西第一区、田高町西第二区、田高第二区、上余田南区、上余田中区、上余田北区、下余田南区、下余田西区、下余田北区、村区、杜せきのした一丁目区、杜せきのした二丁目区、杜せきのした三丁目区、杜せきのした五丁目区の計21区の行政区からなっている[8]。
行政区ごとの人口は以下のとおりである[36]。
行政区 | 世帯数 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|---|
本町一区 | 507世帯 | 579人 | 545人 | 1,124人 |
本町二区 | 525世帯 | 492人 | 542人 | 1,034人 |
北町一区 | 226世帯 | 218人 | 244人 | 462人 |
北町二区 | 349世帯 | 323人 | 373人 | 696人 |
北町三区 | 117世帯 | 141人 | 137人 | 278人 |
田高町東第一区 | 404世帯 | 387人 | 427人 | 814人 |
田高町東第二区 | 341世帯 | 394人 | 448人 | 842人 |
田高町西第一区 | 470世帯 | 448人 | 493人 | 941人 |
田高町西第二区 | 428世帯 | 443人 | 448人 | 891人 |
田高第二区 | 340世帯 | 374人 | 431人 | 805人 |
上余田南区 | 334世帯 | 367人 | 378人 | 745人 |
上余田中区 | 749世帯 | 906人 | 907人 | 1,813人 |
上余田北区 | 294世帯 | 347人 | 379人 | 726人 |
下余田南 | 220世帯 | 213人 | 268人 | 481人 |
下余田西区 | 214世帯 | 276人 | 294人 | 570人 |
下余田北区 | 68世帯 | 94人 | 94人 | 188人 |
村区 | 217世帯 | 263人 | 254人 | 517人 |
合計 | 5,803世帯 | 6,265人 | 6,662人 | 12,927人 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c “町丁字別人口・世帯数データ(外国人を含む)”. 名取市. 2022年7月25日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2021年6月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2023年8月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2024年9月17日閲覧。
- ^ a b 名取市役所市民課 (2022年10月14日). “住居表示地区内への新築・建替時は「建物等新築届出書」が必要です”. 名取市. 2023年8月30日閲覧。
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典 1979, p. 660.
- ^ “町及び字の名称”. 名取市. 2024年7月31日閲覧。
- ^ a b c “令和2年3月31日名取市規則第7号名取市行政区設置規則”. 名取市. 2022年7月25日閲覧。
- ^ “令和4年地価公示価格一覧”. 宮城県. 2023年11月19日閲覧。
- ^ a b c d 大塚徳郎,竹内利美 1990, p. 210.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 角川日本地名大辞典 1979, p. 482.
- ^ 大塚徳郎,竹内利美 1990, p. 211.
- ^ 教育部文化・スポーツ課 (2010年9月10日). “奥州路”. 名取市. 2022年8月1日閲覧。
- ^ a b c d 教育部文化・スポーツ課 (2015年4月30日). “衣笠の松”. 名取市. 2022年8月1日閲覧。
- ^ 菊地勝之助 & 1972年, p. 282.
- ^ 森嘉兵衛 1990, p. 446.
- ^ 菊地勝之助 & 1972年, p. 281.
- ^ a b c d “店舗・直売所紹介”. JA名取岩沼. 2022年7月29日閲覧。
- ^ “増田支店”. 七十七銀行. 2022年7月29日閲覧。
- ^ “ホーム”. 名取市増田小学校. 2022年7月25日閲覧。
- ^ こども支援課 (2022年7月1日). “増田児童センター・子育てひろばのお知らせ”. 名取市. 2022年7月25日閲覧。
- ^ “名取市図書館ホームページ”. 名取市図書館. 2022年7月25日閲覧。
- ^ “名取市増田公民館”. 名取市. 2022年7月26日閲覧。
- ^ “名取増田郵便局 (なとりますだゆうびんきょく)”. 日本郵政グループ. 2022年8月11日閲覧。
- ^ “岩沼警察署増田交番”. マピオン. 2022年7月26日閲覧。
- ^ “組織別インデックス-消防本部”. 名取市. 2022年7月26日閲覧。
- ^ “市役所”. 名取市. 2022年7月25日閲覧。
- ^ “学校紹介”. 宮城県名取北高等学校. 2022年7月29日閲覧。
- ^ “ホーム”. 名取市立増田中学校. 2022年7月25日閲覧。
- ^ “名取市民体育館”. 名取市スポーツ協会. 2022年7月25日閲覧。
- ^ “交通アクセス”. 名取市文化振興財団. 2022年7月26日閲覧。
- ^ “仙台法務局 管内法務局一覧”. 仙台法務局. 2022年7月26日閲覧。
- ^ a b c d e “バス路線一覧 名取市役所前”. NAVITIME. 2022年8月11日閲覧。
- ^ a b “バス路線一覧 名取駅前”. NAVITIME. 2022年8月11日閲覧。
- ^ “名取市立学校の通学区域等に関する規則”. 名取市 (1992年3月27日). 2022年8月11日閲覧。
- ^ a b “行政区別人口明細”. 名取市 (2022年7月1日). 2022年8月11日閲覧。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
- 大塚徳郎、竹内利美『日本歴史地名体系 4 宮城県の地名』平凡社、1987年7月10日。ISBN 4582490042。
- 菊地勝之助 編『宮城県地名考』宝文堂出版販売、1972年6月15日。
関連項目
編集- 増田:曖昧さ回避