堀河康胤
江戸時代前期の公卿。従二位・権中納言。堀河家の祖・初代
堀河 康胤(ほりかわ やすたね)は、江戸時代前期の公卿。右兵衛督・堀河親具の子。官位は従二位・権中納言。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 天正20年9月9日(1592年10月14日) |
死没 | 寛文13年1月27日(1673年3月15日) |
改名 | 康満(初名)→康胤 |
別名 | 号:休山 |
官位 | 従二位、権中納言 |
主君 | 後陽成天皇→後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇→後西天皇→霊元天皇 |
氏族 | 堀河家 |
父母 | 父:堀河親具、母:中條持胤娘 |
兄弟 | 康胤、樋口信孝 |
子 | 信親、則康、樋口信康室 |
経歴
編集祖父の高倉永家から分かれた父の親具からさらに分かれて堀河家を起こした。慶長7年(1602年)に叙爵。元和5年(1619年)、後水尾天皇側近としておよつ御寮人事件に連座し中御門宣衡・土御門久脩と共に出仕停止となった。その後は侍従・左兵衛権佐・左近衛少将・左近衛中将などを歴任。寛永7年(1630年)に従三位となり、公卿に列した。
系譜
編集- 妻:不詳
- 男子:堀河信親
- 男子:堀河則康
- 女子:樋口信康正室
関連項目
編集
|
|
|