樋口信康

江戸時代初期の公家。樋口家2代。従二位権中納言。子に中条康満(-1725.8.22、尾州住、伊豆守、従五位下)、鈴木重長の妻、松平忠勝(半左衛門)の妻

樋口 信康(ひぐち のぶやす)は、江戸時代初期の公家藤原北家高倉流、樋口家の2代目。官位は従二位権中納言

 
樋口信康
時代 江戸時代初期
生誕 元和9年11月10日1623年12月31日
死没 元禄4年6月21日1691年7月16日
諡号 崇厳院岳誉看山
官位 従二位権中納言
主君 明正天皇後光明天皇後西天皇霊元天皇
氏族 樋口家
父母 父:樋口信孝、母:広橋兼勝
兄弟 信康中條信慶中條信久、梅、清雲院、勘解由小路[1]
堀河康胤
康勝康資中條康満康煕、凌、初、七姫、立、久、常磐井、初川信愛
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経歴

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右近衛中将を経て、貞享元年(1684年参議となり、貞享4年(1687年権中納言になった。元禄4年(1691年)6月21日、69歳で薨去。法号は崇厳院岳誉看山

系譜

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脚注

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  1. ^ 尾張藩主徳川光友の側室
  2. ^ 信康の妹の勘解由小路が尾張藩主徳川光友の側室であったため

関連項目

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先代
樋口信孝
樋口家
第2代
次代
樋口康煕