吉見村 (埼玉県大里郡)
日本の埼玉県大里郡にあった村
吉見村(よしみむら)は、埼玉県大里郡にあった村。現在の熊谷市南部にあたる。
よしみむら 吉見村 | |
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廃止日 | 1955年(昭和30年)1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 市田村、吉見村→大里村 |
現在の自治体 | 熊谷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 大里郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,984人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
東松山市、大里郡市田村 比企郡吉見村、北足立郡吹上町 |
吉見村役場 | |
所在地 | 埼玉県大里郡吉見村大字相上[1] |
座標 | 北緯36度06分10秒 東経139度24分40秒 / 北緯36.10264度 東経139.41117度座標: 北緯36度06分10秒 東経139度24分40秒 / 北緯36.10264度 東経139.41117度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集隣接していた自治体
編集(括弧内は現在の自治体)
歴史
編集- 1869年(明治2年)1月28日 (旧暦) - 武蔵知県事・宮原忠治の管轄区域をもって大宮県が発足(県庁は日本橋馬喰町)。ほか旧村域では下妻県・古河県・前橋県に属した村もあり。
- 1869年(明治2年)9月29日 (旧暦) - 県庁が浦和に移転し、大宮県から浦和県に改称。
- 1871年(明治4年)11月14日 (旧暦) - 浦和県・忍県・岩槻県の3県が合併して埼玉県が誕生。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大里郡相上村・冑山村・小八林村・玉作村・箕輪村・津田村・向谷村が合併し、吉見村となる。[1]旧村は吉見村の大字となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 市田村と合併し、大里村となる[2][3]。大字は大里村に継承された[1]。
歴代首長
編集代(村) | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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初 | 栗原延親 | 1889年5月16日 | 1890年8月8日 |
2 | 堀信蕃 | 1890年9月6日 | 1894年9月5日 |
3 | 須長富男 | 1895年7月30日 | 1906年3月9日 |
4 | 須藤喜之 | 1906年4月6日 | 1910年4月4日 |
5 | 堀宗寿 | 1910年4月30日 | 1914年4月29日 |
6 | 栗原瑞太郎 | 1914年5月9日 | 1918年5月8日 |
7 | 長島甚助 | 1918年6月27日 | 1922年6月26日 |
8 | 根岸憲助 | 1922年7月14日 | 1928年1月14日 |
9 | 須藤常章 | 1928年5月2日 | 1933年4月30日 |
10 | 福田保則 | 1933年5月20日 | 1937年5月19日 |
11 | 金井淑太郎 | 1937年6月6日 | 1941年6月7日 |
12 | 須藤静雄 | 1941年6月13日 | 1945年6月12日 |
13 | 須藤文次 | 1945年6月28日 | 1947年2月27日 |
14 | 柿沼良平 | 1947年4月5日 | 1954年12月31日 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。