吉備真事
吉備 真事(きび の まこと、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。名は直事(なおこと)とも記される。氏姓は下道朝臣のち吉備朝臣。官位は従五位下・大蔵少輔。
経歴
編集聖武朝の天平17年(745年)の経師等調度充帳に「下道朝臣直言」の名前が記されている[1]。天平20年(748年)に同族の乙吉備・広とともに下道朝臣から吉備朝臣に改姓した。なお、同族の真備は既に天平18年(746年)に吉備朝臣姓に改姓している。
その後、称徳朝の天平神護3年(767年)正月に安倍草麻呂・河辺東人・笠乙麻呂らとともに従五位下に叙爵する。同年2月に鋳銭員外次官に任ぜられるが、同時に一族の泉も大学員外介を兼ねている。翌神護景雲2年(768年)美濃介として地方官に遷る。
光仁朝に入ると、宝亀2年(771年)弓削御浄秋麻呂の後任の大蔵少輔に任ぜられ、宝亀7年(776年)には検税使として北陸道に派遣されている。
官歴
編集注記のないものは『続日本紀』による。
脚注
編集- ^ 『大日本古文書』8巻580頁