『万葉集』巻六によると、天平5年(733年)の山上憶良の沈痾の時に、藤原真楯の使者として容態を尋ねている[1]。
それからしばらく事績が知られていないが、称徳朝の天平神護3年(767年)正月、安倍草麻呂・吉備真事・笠乙麻呂らとともに、正六位上から従五位下に叙爵[2]。
光仁朝では、宝亀元年(770年)10月、豊国秋篠の後任の石見守に任命される[3]。
『万葉集』には、
春雨の しくしく降るに 高円(たかまど)の 山の桜は いかにかあるらむ (春雨が しきりに降っている今頃 高円の 山の桜は どうなっているだろうか[4])
が収録されている。
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 |
この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 |