古賀ノ浦茂
古賀ノ浦 茂(こがのうら しげる、1904年10月3日 - 1971年3月2日)は、福岡県早良郡早良町(現在の福岡市早良区)出身で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は津上 茂。最高位は西前頭筆頭(1934年1月場所)。現役時代の体格は177cm、101kg。得意手は左四つ、寄り、投げ。
来歴
編集24代横綱鳳に入門し、1919年5月場所に初土俵をふむ。十両までは順調で、1925年1月場所に十両に昇進したが、そこからがやや時間がかかり、新入幕は1929年1月場所だった。幕内中堅力士としてよく定着し、大関大ノ里や常陸岩をしばしば苦しめた。また、春秋園事件直後の1932年2月場所、初日に新大関武蔵山を破る殊勲の星をあげている。最後まで幕内を保って、1934年5月場所限りで廃業し、郷里に帰ったという。
前捌きが巧く、左差しからしぶとい相撲を取った。もろ差しになるのも巧かったという。仕切りの際に塩をやたらと撒く仕草があった。付き人たちを震え上がらせるほどに気性が激しかったという。
主な成績
編集- 幕内在位:21場所(興行中止の1932年1月場所を含む)
- 幕内成績:78勝132敗6休 勝率.371
- 各段優勝:十両1回(1928年3月場所)
場所別成績
編集春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1919年 (大正8年) |
x | x | (前相撲) | x | ||
1920年 (大正9年) |
東序ノ口17枚目 4–1 |
x | 東序二段35枚目 1–3 1預 |
x | ||
1921年 (大正10年) |
西序二段37枚目 4–1 |
x | 西三段目47枚目 3–2 |
x | ||
1922年 (大正11年) |
西三段目24枚目 5–0 |
x | 西幕下29枚目 3–2 |
x | ||
1923年 (大正12年) |
東幕下15枚目 4–3 |
x | 東幕下13枚目 3–3 |
x | ||
1924年 (大正13年) |
西幕下10枚目 3–2 |
x | 東幕下2枚目 4–2 |
x | ||
1925年 (大正14年) |
西十両10枚目 4–1 1分 |
x | 東十両6枚目 4–1 1預 |
x | ||
1926年 (大正15年) |
東十両2枚目 5–4 |
x | 西十両2枚目 3–7 |
x | ||
1927年 (昭和2年) |
東十両7枚目 4–2 |
東十両7枚目 0–5 |
西十両3枚目 1–2 |
西幕下4枚目 5–1 |
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1928年 (昭和3年) |
西十両8枚目 6–5 |
東十両7枚目 優勝 8–2 1分 |
西十両筆頭 5–6 |
西十両筆頭 7–4 |
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1929年 (昭和4年) |
西前頭13枚目 5–6 |
西前頭13枚目 6–5 |
西前頭7枚目 1–10 |
西前頭7枚目 7–4 |
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1930年 (昭和5年) |
西前頭6枚目 2–9 |
西前頭6枚目 6–5 |
西前頭8枚目 5–6 |
西前頭8枚目 5–6 |
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1931年 (昭和6年) |
東前頭10枚目 5–6 |
東前頭10枚目 3–8 |
西前頭10枚目 6–5 |
西前頭10枚目 4–7 |
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1932年 (昭和7年) |
西前頭2枚目 3–5 |
西前頭2枚目 1–9 |
西前頭2枚目 3–8 |
西前頭2枚目 5–6 |
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1933年 (昭和8年) |
東前頭3枚目 2–9 |
x | 東前頭8枚目 8–3 |
x | ||
1934年 (昭和9年) |
西前頭筆頭 1–10 |
x | 西前頭11枚目 引退 0–5–6 |
x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
- 1932年1月番付は東前頭10枚目
四股名変遷
編集- 古河ノ浦 茂(こがのうら しげる)1919年5月場所 - 1920年1月場所
- 古賀ノ浦 茂(こがのうら -)1920年5月場所 - 1934年5月場所