1926年の相撲
できごと
編集1月場所より賜杯授与を開始。吸収合併で消滅する大阪相撲は最後の3月場所を台湾で実施、終了後に更に島内で8日間巡業を行った[1]。
大坂相撲からの力士の技量審査として東西合同の場所が開かれ、その結果が翌1927年1月場所の番付に反映された。
台覧相撲
編集本場所
編集その他相撲披露
編集- 11月2日-3日 - 明治神宮体育大会選士権競技 - 優勝は常ノ花寛市[7]。
誕生
編集- 1月1日 - 鳴門海一行(最高位:前頭筆頭、所属:春日野部屋、+ 2010年【平成22年】)[8]
- 1月8日 - 筑後山一政(最高位:十両2枚目、所属:立浪部屋、+ 1978年【昭和53年】)
- 2月5日 - 星甲良夫(最高位:前頭4枚目、所属:井筒部屋、+ 2000年【平成12年】)[9]
- 3月10日 - 白龍山慶祐(最高位:前頭12枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1968年【昭和43年】)[10]
- 3月27日 - 神雷龍之助(最高位:十両12枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1984年【昭和59年】)
- 4月28日 - 津軽冨士節三(最高位:十両13枚目、所属:高嶋部屋)
- 5月5日 - 秀湊忠司(最高位:前頭17枚目、所属:出羽海部屋、+ 1995年【平成7年】)[11]
- 5月20日 - 梅錦寅之介(最高位:前頭20枚目、所属:高嶋部屋、+ 1977年【昭和52年】)[12]
- 5月28日 - 泉州山久義(最高位:十両2枚目、所属:春日野部屋)
- 6月2日 - 千代の山雅信(第41代横綱、所属:出羽海部屋、+ 1977年【昭和52年】)[13]
- 6月8日 - 櫻國輝男(最高位:前頭11枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 没年不明)[10]
- 6月19日 - 大内山平吉(最高位:大関、所属:双葉山道場→時津風部屋、+ 1985年【昭和60年】)[14]
- 8月30日 - 赤城山晃(最高位:十両10枚目、所属:双葉山道場→時津風部屋、+ 1990年【平成2年】)
- 12月7日 - 7代式守錦之助(元・三役格行司、所属:浦風部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1995年【平成7年】)
死去
編集- 4月5日 - 梅ノ花市五郎(最高位:前頭4枚目、所属:雷部屋、* 1887年【明治20年】)[15]
- 5月30日 - 槍ヶ嶽峯五郎(最高位:前頭9枚目(現役没)、所属:熊ヶ谷部屋→出羽海部屋、* 1896年【明治29年】)[16]
- 6月28日 - 狭布里錦太夫(最高位:前頭3枚目、所属:伊勢ノ海部屋、* 1859年【安政6年】)
- 8月5日 - 桂山勘五郎(最高位:前頭6枚目、所属:尾車部屋、* 1882年【明治15年】)[17]
- 12月11日 - 福柳伊三郎(最高位:関脇(現役没)、所属:出羽海部屋、* 1893年【明治26年】)[18]
- 12月23日 - 大岬伝左衛門(最高位:十両筆頭、所属:二十山部屋、* 1893年【明治26年】)
- 12月30日 - 初代海山太郎(最高位:前頭筆頭、所属:玉垣部屋、* 1854年【嘉永7年】)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 酒井, p. 378.
- ^ 酒井, p. 383.
- ^ 酒井, pp. 375–378.
- ^ 酒井, pp. 378–378.
- ^ 酒井, pp. 380–383.
- ^ 酒井, pp. 383–384.
- ^ 酒井, p. 384.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 124頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 139頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 129頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 138頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 120頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 112頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 121頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 19頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 54頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 21頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 44頁
参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。