原田橋
原田橋(はらだばし)は、静岡県浜松市天竜区佐久間町の天竜川に架かる橋。2代目原田橋は2015年(平成27年)1月31日、土砂崩れ(詳細は後述)により当時建設中の新橋(3代目)とともに落橋した[1]。このため、2020年(令和2年)2月29日に新橋が供用された。
原田橋 | |
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![]() 在りし日の原田橋(2代目、2014年6月) | |
基本情報 | |
国 |
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所在地 |
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交差物件 | 天竜川 |
建設 | 東京鐵骨橋梁[2] |
座標 | 北緯35度4分56.5秒 東経137度47分29.4秒 / 北緯35.082361度 東経137.791500度座標: 北緯35度4分56.5秒 東経137度47分29.4秒 / 北緯35.082361度 東経137.791500度 |
構造諸元 | |
形式 | 吊橋[1] |
材料 | 鉄筋コンクリート補剛桁、鋼製主塔 |
全長 | 138.8 m[2] |
幅 | 5.5 m[2] |
最大支間長 | 137.6 m[2] |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
初代
編集この地方は米をほとんど生産できず、米の供給は伊那谷からの川舟での輸送に頼っていた。そのため天竜川が洪水になると川舟を出すことができず、長ければ1か月も米の供給が途絶えて飢えることになった。豊橋や新城から陸路で米を搬送してきても、天竜川の右岸にある集落には届いても、橋がないために川舟を出すことができない状況では左岸の集落に届ける方法がなかった。そのためこの地域では橋を待望していたが、実際に飢えが生じるのは年に1 - 2度であるためか、なかなか実際に橋に着工するに至らなかった。佐久間村で1836年(天保7年)に生まれて横浜で商売をして財を成した原田久吉が、この状況を見て私財15,000円を投じて橋を架けることにした[3]
1913年(大正2年)9月に着工し、1915年(大正4年)4月22日に渡り初め式が行われた。当時79歳の原田久吉も渡り初めに参加している[3]。地元の人は原田久吉の功績を賞賛し、原田橋と命名された[4][5][2]。初代原田橋は木製補剛桁を備えた吊橋で全長111.8メートル、幅員2.4メートルであった[2]。この年6月に橋のたもとに原田の功績をたたえる碑が立てられた。題額は「種徳賑郷」とあり、久我通久が揮毫した[3]。
2代
編集2代目原田橋は、1939年(昭和14年)に内務省が制定した「鋼道路橋設計示方書案」に従った都道府県道水準の二等橋規格(活荷重9トン)で設計されていた[2]。当初は静岡県道46号水窪佐久間線であったが[2]、1993年(平成5年)4月1日付で原田橋を含む区間が国道473号に指定された[6]。
2011年9月には老朽化によるメインケーブルの損傷が見つかり、さらに2012年(平成24年)4月25日に不具合が発見されたことにより全面通行止めとし河川敷を通る緊急用仮設道路が建設された[7]。その後、暫定対策としてメインケーブルの補強が行われ、同年6月25日より通行制限(片側交互通行・重量8トン未満・ひずみセンサーとカメラによる監視)のもと通行を再開した[8]。このとき、緊急用仮設道路がいったん撤去された[8]。
その後、16メートル南側に長さ156メートルの新橋(新原田橋(仮称))を架けることとして2015年(平成27年)度中の供用を目指して、2013年(平成25年)11月16日に起工式が行われた[9]。
土砂崩れによる落橋
編集2015年(平成27年)1月31日17時10分ごろ、天竜川右岸(西岸)で発生した土砂崩れの影響で落橋した[1]。
同日14時25分ごろに斜面から小石が流れてきているのが発見されたため、同14時45分ごろから橋は通行止めとなっていた[1]。この落橋で状況調査で橋の上にいた浜松市天竜土木整備事務所の職員2名が橋と公用車もろとも川に転落、病院で死亡が確認された[1]。また、この崩落事故の影響で建設中の新原田橋も損壊した[1]。
仮設道路の設置
編集2015年(平成27年)2月13日に、崩落した橋の500メートル下流の河川内に仮設道路が設営され、普通車による交通は復旧したものの、大型車・二輪車・歩行者などは通行不可のままであった[10]。しかし、その仮設道路も天竜川の増水により盛土が流出するなどにより、しばしば通行止めを余儀なくされたため[11][12]、沈下橋を設置することとし6月30日に供用を開始した[13]。
3代
編集原田橋の再建はそのまま再建する案から200メートル下流、500メートル下流に造り直す案を検討し、建設に4年から7年の工期が見込まれていた[14]。2015年(平成27年)7月に、浜松市は200メートル下流に建設する案を採用し[15]、2016年(平成28年)10月に着工。2019年度内の供用開始予定とした。仮設道路についても、2016年度内に改良が施され、オートバイや大型車が通行可能になった[16]。
2019年(令和元年)11月28日に周辺住民を対象に建設中の新々原田橋の見学会が行われた[17]。新々原田橋の構造は31ある桁ブロックを高力ボルトで連結させたもので、季節による気温差が大きいため橋梁の伸縮を吸収する装置が設けられている[17]。2019年(令和元年)12月24日に新々原田橋は2020年(令和2年)2月29日16時に供用開始予定と発表され[18]、予定通りに開通した。この時点では東側の接続道路の工事が続くため、一部片側交互通行での供用開始となったが[18]、同年3月24日11時に2車線での全面開通を迎えた[19]。橋長284 m、幅員8 mで、総工費は約57億円[18]。全面開通後も新々原田橋周辺の道路工事が続けられ、2023年(令和5年)1月31日に完了した[20]。
周辺
編集- 飛龍橋 - 原田橋より上流に架かる天竜川の吊橋。現在は廃道に近い状態。右岸側が国道473号に繋がっていないため、迂回路に利用できない。
- 佐久間川合インターチェンジ - 三遠南信自動車道のインターチェンジ。
- 供養之碑 - 原田橋西側にある天竜川バス転落事故の慰霊碑
脚注
編集- ^ a b c d e f g “橋崩落 市職員2人死亡”. 静岡新聞朝刊: p. 1. (2015年2月1日)
- ^ a b c d e f g h i “歴史的鋼橋: S3-012 原田橋”. 土木学会. 2019年2月23日閲覧。
- ^ a b c 日下部新一『天竜川交通史』伊那史学会、1978年10月、182-184頁。doi:10.11501/12067215。
- ^ “清流=郷土の偉人のためにも(木村祐太/袋井支局)”. 静岡新聞(朝刊): p. 20. (2015年3月12日)
- ^ “郷土の偉人 原田久吉翁の足跡を訪ねる” (pdf). だいすき!北遠. 特定非営利活動法人「天竜川・杣人の会」. 2016年1月3日閲覧。
- ^ “一般国道の路線を指定する政令(平成四年四月三日政令第一〇四号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2019年10月10日閲覧。
- ^ “佐久間・原田橋通行止め 仮設道路の建設着手”. 静岡新聞朝刊: p. 19. (2012年4月25日)
- ^ a b “国道473号の原田橋 制限付き通行再開”. 静岡新聞夕刊: p. 2. (2012年6月25日)
- ^ “新原田橋(天竜区佐久間町)が着工”. 静岡新聞朝刊: p. 21. (2013年11月17日)
- ^ “原田橋代替路 開通”. 静岡新聞朝刊: p. 31. (2015年2月13日)
- ^ “原田橋の仮設道 13日通行再開へ-浜松市発表”. 静岡新聞朝刊: p. 11. (2015年4月11日)
- ^ “仮設道の通行再開-浜松・原田橋”. 静岡新聞朝刊: p. 27. (2015年4月25日)
- ^ “浜松・原田橋の仮設道改良 潜水橋 供用開始”. 静岡新聞朝刊: p. 25. (2015年7月1日)
- ^ “新原田橋3案提示 浜松市、来月にも決定”. 静岡新聞朝刊: p. 24. (2015年6月22日)
- ^ “200メートル下流に新橋 浜松市、住民へ説明-原田橋崩落”. 静岡新聞(夕刊): p. 2. (2015年7月29日)
- ^ “国道473号「原田橋」 仮設道路を改良へ-浜松・地元説明会”. 静岡新聞(朝刊): p. 27. (2015年11月28日)
- ^ a b “「新々原田橋」完成迫る 浜松、佐久間住民ら見学”. 静岡新聞. (2019年11月28日) 2019年11月29日閲覧。
- ^ a b c “浜松・原田橋2月29日開通 15年に崩落、代替整備”. 静岡新聞. (2019年12月25日) 2020年1月9日閲覧。
- ^ “国道473号(原田橋)の通行について”. 浜松市 (2020年3月24日). 2020年10月29日閲覧。
- ^ “浜松・原田橋崩落8年 「工事の完了」報告 関係者ら”. 静岡新聞. (2023年2月1日) 2023年2月15日閲覧。
関連項目
編集- 天竜川バス転落事故 - 1951年(昭和26年)に原田橋の手前で発生した事故。
外部リンク
編集- 国道473号(仮称)新々原田橋の架橋整備について浜松市公式ホームページ
- 原田橋復旧への取り組み、新原田橋の概要道路新産業開発機構(2013年6月)原田橋落橋前の新原田橋建設計画概要。
- 原田橋特設ページ浜松市佐久間観光協会
- <まとめ>原田橋崩落事故 浜松・天竜区佐久間町 @S アットエス 静岡新聞