南部信民
日本の江戸時代後期~明治時代後期の大名。角屋敷三戸氏3代当主南部信也四男で、陸奥七戸藩2代藩主南部信誉養子。七戸藩3代藩主。従五位下美作守
南部 信民(なんぶ のぶたみ)は、江戸時代末期の大名。陸奥国七戸藩の第3代藩主。盛岡藩の家老・三戸式部の従兄弟にあたる。
南部 信民 | |
時代 | 江戸時代末期 - 明治時代 |
生誕 | 天保4年4月4日(1833年5月22日) |
死没 | 明治33年(1900年)3月15日 |
別名 | 通称:棋三郎、璋五郎 |
官位 | 従五位下、美作守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家茂→慶喜 |
藩 | 陸奥七戸藩主 |
氏族 | 南部氏 |
父母 |
父:南部信也、母:不詳 養父:南部信誉 |
妻 |
正室:前田利和の娘・睦子 継室:細川興建の娘 |
子 | 養子:信方 |
生涯
編集天保4年(1833年)4月4日、南部信也の4男として誕生した。父・信也は角屋敷三戸家の3代当主で、信民は南部利視の玄孫にあたる。
嘉永2年(1849年)に南部謹敦が盛岡藩を相続し、謹敦に代わって先代七戸藩主・南部信誉の養嗣子となる。文久2年(1862年)の信誉の死去により家督を相続する。幕末期の動乱の中では本家の盛岡藩と行動を共にし、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加、新政府側に寝返った弘前藩と戦うなどして活躍した。戦後、新政府から罪に問われて領地を1000石削減された上、養嗣子・信方に家督を譲って強制隠居するように命じられた。しかし、跡を継いだ信方は若年だったため、信民が実際の藩政をなおも取り仕切り、牧畜や養蚕などの産業を奨励し、教育普及に尽くすなどしている。
明治33年(1900年)3月15日、68歳で死去した。
系譜
編集父母
正室、継室
養子