南磯一郎
日本の政治家
南 磯一郎(みなみ いそいちろう、1854年(嘉永6年12月[1][2]) - 1895年(明治28年)10月30日[1][2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
南磯一郎 みなみ いそいちろう | |
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生年月日 | 1854年 |
出生地 | 日本 富山県 |
没年月日 | 1895年10月30日 |
出身校 | 新川県講習所卒業 |
前職 | 実業家 |
所属政党 | 自由倶楽部 |
選挙区 | 富山県第3区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1890年 - 1891年12月25日 |
富山県会議員 | |
選挙区 | 射水郡選挙区 |
在任期間 | 1888年3月 - 1890年7月 |
経歴
編集富山県出身[1]。高岡小学校教員講習所卒業[3]。その後、新川県講習所卒業[2]。小学校教諭、義倉金処分会議員、同常置委員となる[1]。1882年(明治15年)、北立自由党を結成し、北陸公論社を興し、社長となる[1][2]。
1885年(明治18年)12月、大阪事件に連座して護送されたが、1887年(明治20年)9月に無罪となり、釈放された[2]。
1888年(明治21年)3月から1890年(明治23年)7月まで射水郡選出の富山県会議員だった[2]。
同年の第1回衆議院議員総選挙において富山県第3区から自由倶楽部公認で立候補して初当選[4]。1892年(明治25年)の第2回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1895年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。