北見相生駅

かつて日本の北海道網走郡津別町にあった日本国有鉄道の駅

北見相生駅(きたみあいおいえき)は、北海道網走郡津別町相生にあった日本国有鉄道(国鉄)相生線廃駅)で、同線の終着駅である。電報略号キア事務管理コードは▲122607[2]

北見相生駅
駅舎(2008年9月)
きたみあいおい
Kitami-Aioi
布川 (4.5 km)
地図
所在地 北海道網走郡津別町字相生
北緯43度32分41秒 東経143度58分52.3秒 / 北緯43.54472度 東経143.981194度 / 43.54472; 143.981194座標: 北緯43度32分41秒 東経143度58分52.3秒 / 北緯43.54472度 東経143.981194度 / 43.54472; 143.981194
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 相生線
キロ程 36.8 km(美幌起点)
電報略号 キア
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1925年大正14年)11月15日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)4月1日[1]
備考 相生線廃線に伴い廃駅
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1977年の北見相生駅と周囲約500m範囲。上が美幌方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
駅名標(2012年7月)

歴史

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駅名の由来

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「相生」の由来については、当地の道路開削にあたって、ヌプパオマナイ川にかつて架かっていた「女」「男」の2つの橋の中間に、「相生橋」という木橋が架されていたたことに由来する、としており[4]、一説には当時北海道鉄道部の旭川建設所長であった筒井という人物が駅名として採用した、とされている[5]。開業当時は地名となっていなかった〔町字としては津別村字木禽村[3]、集落名としては三基線[6]〕が、駅の開業に伴い地名化している[6]

旧国名の「北見」を冠したのは、当時既設の他駅(足尾線相生駅〔現:相老駅〕、山陽本線相生駅)との混同を防止するためである[4]

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、終端駅となっていた。職員配置駅であった。ほかに機回し線などの側線を数本有していた[7]。ホームは線路の東側(北見相生方面に向かって左手側)に存在し、平屋建ての木造駅舎[8]が接していた。駅舎の南側部分には側線が1本入り、切欠きホームとなっていた。かつては給水タンクターンテーブルも存在したが、路線廃止前に撤去されている(ターンテーブルは遺構あり[9])。ホームには高山植物コマクサが植えられていた[8]

利用状況

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利用状況の推移については以下の通り。年間の値のみ判明している年度の1日平均は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1928年(昭和03年) (35.5) [5] 1日平均乗降人員71人
1931年(昭和06年) (22.5) 1日平均乗降人員45人
1934年(昭和09年) (29.0) 1日平均乗降人員58人
1949年(昭和24年) 45,625 (125) [10]
1950年(昭和25年) 45,892 (123.5) [5][11] 1日平均乗降人員247人
1951年(昭和26年) 60,836 (166.2) [11]
1952年(昭和27年) 42,595 (116.7)
1953年(昭和28年) 46,231 (126.7) [10]
1955年(昭和30年) (127.5) [5] 1日平均乗降人員255人
1953年(昭和32年) 61,484 (168.4) [10]
1960年(昭和35年) (193.5) [5] 1日平均乗降人員387人
1954年(昭和36年) 66,974 (183.5) [10]
1965年(昭和40年) 62,328 (170.8) [10] 1日平均乗降人員355人[5]
1968年(昭和43年) (193.0) [5] 1日平均乗降人員386人
1970年(昭和45年) 72,043 (197.4) [12]
1974年(昭和49年) 49,612 (135.9)
1978年(昭和53年) 28,491 (78.1)
1981年(昭和56年) 19,876 (54.5) 乗車人員は60人との記載もある[7]

駅周辺

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周辺は山のふもとに開けた小さな集落である。

駅跡

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旧駅構内はかつては交通公園として整備されていたが[13]、現在は「道の駅あいおい」が開設され、その施設に含まれている。現役当時に忠実に復元された駅舎[9]があり、ビデオホーンなどの備品や、プラットホームレール駅名標、車庫[9]構内除雪車キ703を始めとした鉄道車両などが保存展示されていたが、車庫は2018年11月の時点で経年劣化により倒壊しており、立ち入りが制限されている。2016年(平成28年)から駅舎は喫茶店としても利用されており、ホームの駅名標・案内板は塗り直され、レプリカの新しい書体となっている。当初は「駅舎カフェ くるみの森」として営業されていたが、その後2018年にはくるみの森が移転し、新たに「駅舎Cafeホロカ」として営業が再開されている[14][15]

隣の駅

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日本国有鉄道
相生線
布川駅 - 北見相生駅

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、923頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編「相生線」『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、246頁。doi:10.11501/1873236https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1873236/1442023年4月2日閲覧 
  3. ^ a b 内閣印刷局, ed (1925-11-11). “告示 鐵道省 第219号 相生線津別北見相生間鐵道運輸營業開始”. 官報 (3965): 255. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956115/2. 
  4. ^ a b 札幌鉄道局編 編「相生線」『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年。doi:10.11501/1029473https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029473/62 
  5. ^ a b c d e f g 第九部.交通と通信のひろがり 第二節.鉄道」『津別町史』津別町、1971年、842-843頁。doi:10.11501/9490640https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9490640/441 
  6. ^ a b 第三部.集落のうつりかわり 第二十一節.相生部落」『津別町史』津別町、1971年、137頁。doi:10.11501/9490640https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9490640/88 
  7. ^ a b 相生線」『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、159頁。doi:10.11501/12063743https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12063743/83 
  8. ^ a b 書籍『終着駅 国鉄全132』(雄鶏社1980年10月発行)12ページより。
  9. ^ a b c 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)37-39ページより。
  10. ^ a b c d e 第八章.交通運輸 第二節.鉄道 (2)4駅の軌跡」『津別百年史』津別町、1985年12月、862-863頁。doi:10.11501/9571578https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9571578/457 
  11. ^ a b 第一三章.交通・通信 第三節.鉄道 二.各駅」『津別町史』津別町、1954年、608頁。doi:10.11501/3017371https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3017371/372 
  12. ^ 第七章.交通運輸 第三節.国有鉄道 (1)相生線営業の消長」『津別百年史』津別町、1985年12月、1368頁。doi:10.11501/9571578https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9571578/710 
  13. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2001年1月発行)43ページより。
  14. ^ 【ニュース】津別町相生に駅舎カフェ「ホロカ」誕生”. 道東テレビ (2018年6月9日). 2021年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月9日閲覧。
  15. ^ 受け継ぐ 手作りの味、地域の思い”. チャレンジツベツ(北海道つべつまちづくり) (2020年12月4日). 2024年9月9日閲覧。

関連項目

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