加藤泰祉
江戸時代後期の大名
加藤 泰祉(かとう やすとみ)は、江戸時代後期の大名。伊予国大洲藩12代藩主。官位は従五位下・出羽守。
加藤泰祉像(如法寺蔵) | |
時代 | 江戸時代後期 |
生誕 | 天保15年11月18日(1844年12月27日) |
死没 | 元治元年8月16日(1864年9月16日) |
官位 | 従五位下出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家定、家茂 |
藩 | 伊予大洲藩主 |
氏族 | 加藤氏(光泰系) |
父母 | 加藤泰幹、雲林院 |
兄弟 |
泰祉、泰秋、智鏡院、堀直休正室、 加藤泰令正室、加藤明実正室ら |
妻 | 溝口直溥四女文姫 |
子 | 泰秋 |
略歴
編集11代藩主・加藤泰幹の長男として誕生。
嘉永6年(1853年)、父の死去により家督を継ぐ。藩政においては藩財政再建や窮民救済に尽くした。幕末期の動乱の中では尊王攘夷派としての立場を取ったが、元治元年(1864年)8月16日に21歳で死去した。跡を弟の泰秋が継いだ。