加茂 (菊川市)
日本の静岡県菊川市の大字
加茂(かも)は、静岡県菊川市の大字である。本項では1889年(明治22年)の町村制施行時に同区域に存在した加茂村(かもむら)についても記す。
加茂 | |
---|---|
東名高速道路菊川インターチェンジ | |
北緯34度44分41.53秒 東経138度5分13.07秒 / 北緯34.7448694度 東経138.0869639度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 菊川市 |
人口 | |
• 合計 | 6,292人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
439-0031[2] |
市外局番 | 0537 (掛川MA)[3] |
ナンバープレート | 浜松 |
地理
編集菊川市中心部に位置する。東名高速道路菊川インターチェンジが所在し、菊川市の道路交通の拠点となっており、宅地化が進んでいる。東で本所・小出、西で中内田・月岡、南で東横地・西横地、北で西方、北と東で半済と隣接する。静岡県道37号掛川浜岡線で菊川駅および御前崎市と結ばれている。
河川
編集小字
編集- 打上下(うちあげした)
- 八幡前(はちまんまえ)
- 方吹(かたふき)
- 蓮ノ前(はすのまえ)
- 乱杭(らんぐい)
- 山東(さんとう)
- 海足(うたり)
- 栗林(くりばやし)
- 東狭間(ひがしはざま)
- 治郎前(じろうまえ)
- 深田(ふかだ)
- 野添(のぞえ)
- 万田(まんだ)
- 掛下(かけした)
- 山本(やまもと)
- 宮ノ西(みやのにし)
- 馬場(ばば)
- 尾花(おばな)
- 山田(やまだ)
- 西袋(にしぶくろ)
- 東門(ひがしもん)
- 川原田(かわらだ)
- 長池(ながいけ)
- 西狭間(にしはざま)
- 井口(いぐち)
- 宮ノ前(みやのまえ)
- 西原(にしはら)
歴史
編集かもむら 加茂村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 堀之内町、内田村、横地村、六郷村、加茂村 → 菊川町 |
現在の自治体 | 菊川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 小笠郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,964人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 堀之内町、内田村、横地村、六郷村 |
加茂村役場 | |
所在地 | 静岡県小笠郡加茂村 |
座標 | 北緯34度44分38.4秒 東経138度4分55.5秒 / 北緯34.744000度 東経138.082083度 |
小笠地域の町村制施行時の町村。48が加茂村。(22.中内田村→内田村 23.下内田村→内田村 44.横地村 45.六郷村 47.西方村→堀之内町) | |
ウィキプロジェクト |
- 「旧高旧領取調帳」[4]の記載によると、明治初年時点で旗本大久保氏・城氏・太田氏および三河吉田藩の相給であり、寺社領も存在した。
- 1868年(慶応4年)5月24日 - 徳川宗家が駿河府中藩に転封。それにともない遠江国内で領地替えが行われ、府中藩の管轄となる。
- 1869年(明治2年)8月7日 - 府中藩が静岡藩に改称。
- 1871年(明治4年)
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により静岡県の管轄となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、近世からの加茂村が単独で自治体を形成し、城東郡加茂村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により所属郡が小笠郡に変更。
- 1954年(昭和29年)1月1日 - 堀之内町、内田村、横地村、六郷村と合併して菊川町が発足。同日加茂村廃止。大字加茂となる。
- 2005年(平成17年)1月17日 - 菊川町が小笠町と合併して菊川市が発足。
世帯数と人口
編集2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
加茂 | 2,512世帯 | 6,292人 |
交通
編集鉄道路線
編集バス
編集道路
編集施設
編集- 菊川警察署
- 菊川市立加茂幼稚園(閉鎖)
- 2014年4月、市立内田保育園と統合され、菊川市立おおぞら幼保園として、加茂地区の隣である内田地区に開園した。
- 菊川市立加茂小学校
- 菊川市立菊川西中学校
- 井成神社
- 大頭龍神社
- 円通寺
- 長正寺
- 綜合菊川自動車学校
その他
編集日本郵便
編集警察
編集町内の警察の管轄区域は以下の通りである[6]。
番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|
全域 | 菊川警察署 | 菊川駅前交番 |