前田利明

江戸時代前期の大名。加賀大聖寺藩2代藩主。前田利常の庶子五男。従四位下、飛騨守、贈正四位。子に杢之助(-1671.7.4、木工之助、隣松院慶雲宗瑞童子)

前田 利明(まえだ としあき)は、江戸時代前期の大名加賀国大聖寺藩の第2代藩主。

 
前田利明
時代 江戸時代前期
生誕 寛永14年12月14日1638年1月28日
死没 元禄5年5月13日1692年6月27日
改名 万吉丸(幼名)→利明
別名 利成、通称:美濃、大蔵
戒名 大機院賢翁紹英大居士
墓所 石川県加賀市の実性院
官位 従四位下飛騨、贈正四位
幕府 江戸幕府
主君 徳川家綱綱吉
加賀大聖寺藩
氏族 前田氏
父母 父:前田利常、母:長連龍娘・栗(南嶺院)
養父:前田利治
兄弟 亀鶴姫森忠広正室)、光高、小媛、利次、利治、満姫浅野光晟正室)、富姫(昌子、八条宮智忠親王妃)、夏姫、春姫(本多政長正室)、利明、松姫(松平定重正室)、龍姫、鶴丸、久万
正室:上杉定勝の娘・亀姫法泉院
継室:本多忠義の娘・勢幾慈眼院
万吉、杢之助、利直利昌、菊姫(松平信庸継室)、松(水野忠周正室)、友(南部通信正室、秋林院)、佐野(溝口重元正室、実相院)
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生涯

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寛永14年(1637年)12月14日、加賀藩2代藩主・前田利常の庶子(五男)として金沢に生まれる。万治2年(1659年)、兄で大聖寺藩初代藩主であった前田利治の養子となり、翌万治3年(1660年)に利治が死去したため跡を継ぐ。

治水工事や新田開発用水路改修や製紙業の導入など、富国政策を重視して藩政を確立した名君であった。元禄5年(1692年)5月13日に死去し、跡を子の利直が継いだ。

1917年(大正6年)11月17日、贈正四位

系譜

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父母

正室、継室

子女

  • 前田万吉(長男)生母は法泉院(正室)
  • 前田杢之助(次男)生母は慈眼院(継室)
  • 前田利直(三男)生母は慈眼院(継室)
  • 前田利昌(四男)生母は慈眼院(継室)
  • 菊姫 ー 松平信庸継室、生母は慈眼院(継室)
  • 松 ー 水野忠周正室、生母は慈眼院(継室)
  • 友、秋林院 ー 南部通信正室、生母は慈眼院(継室)
  • 佐野、実相院 ー 溝口重元正室、生母は慈眼院(継室)