内田正純
内田 正純(うちだ まさずみ)は、江戸時代中期から後期の大名。下総小見川藩の第4代藩主。小見川藩内田家7代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦6年11月11日(1756年12月2日) |
死没 | 文政8年3月10日(1825年4月27日) |
改名 | 長十郎(幼名)→正純 |
墓所 | 東京都台東区蔵前の竜宝寺 |
官位 | 従五位下、和泉守、伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下総小見川藩主 |
氏族 | 内田氏 |
父母 | 父:内田正良、母:伊東長丘の娘 |
兄弟 | 正純、馬場正賀、川勝広品、依田堯道 |
妻 | 正室:水野忠見の娘 |
子 | 正肥、娘(内田金次郎室)、娘 |
生涯
編集宝暦6年(1756年)11月11日、第3代藩主・正良の長男として生まれる。天明2年(1782年)2月14日、父の隠居により跡を継ぎ、12月に叙任する。天明3年(1783年)に大坂加番となり、その後も田安門番、一橋門番、竹橋門番、馬場先門番などを歴任した。文化3年(1806年)10月6日に長男の正肥に家督を譲って隠居し、文政8年(1825年)3月10日に死去。享年70。
系譜
編集父母
正室
- 水野忠見の娘
子女