公文宏
公文 宏(くもん ひろし、1936年9月6日 - 2020年1月8日)は、日本の大蔵官僚。国土庁長官官房長、内閣官房内閣内政審議室長、国土事務次官、石油公団副総裁、住友生命総合研究所副社長などを歴任。血液型はAB型[1]。
来歴
編集香川県坂出市出身(父母も香川県)[1]。香川県立坂出高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格[2]。1959年 大蔵省に入省(主計局総務課)。総務課長に中尾博之、その後、主計官(総務課企画担当)に海堀洋平が就き、同期で同じ係には斎藤次郎がいた[3]。1966年7月1日 甲府税務署長。主に課長補佐時代は大臣官房と主計局に勤務。1968年7月から2年間は和歌山県総務部財政課長として出向。1982年6月11日 理財局資金第一課長。1983年6月7日 理財局総務課長。1984年6月27日 東京税関長。1985年6月25日 大臣官房審議官(関税局担当)。1986年6月10日 銀行局検査部長。1987年6月25日 理財局次長(旧理財担当)。1988年6月28日 国土庁長官官房長。1989年8月 内閣官房内閣内政審議室長。1991年6月14日 国土事務次官。1992年6月23日 退官。同年年7月 石油公団副総裁。1998年5月 住友生命総合研究所副社長。2006年、瑞宝重光章受章[4]。2020年1月8日 敗血症で死去[5]。叙正四位[6]。
官歴
編集- 1959年4月:大蔵省に入省(主計局総務課)。
- 1961年6月:中国財務局理財部。
- 1962年6月:大阪国税局調査査察部。
- 1963年4月:大臣官房調査課。
- 1964年4月:理財局総務課企画係長[7]。
- 1965年7月:理財局資金課企画係長[8]。
- 1966年7月1日:甲府税務署長。
- 1967年7月:大臣官房秘書課長補佐。
- 1968年7月:和歌山県総務部財政課長。
- 1970年7月:主計局主計官補佐(農林第四係主査)。
- 1973年7月:主計局主計官補佐(建設係主査)。
- 1975年7月:大臣官房文書課長補佐(総括・審査) 兼 大臣官房文書課法令審査室長[9]。
- 1976年7月5日:大臣官房企画官 兼 大臣官房文書課[10]。
- 1977年6月27日:主計局主計企画官(調整担当)[11]。
- 1978年6月26日:主計局調査課長。
- 1979年7月:主計局主計官(地方財政、大蔵、補助金担当)。
- 1981年7月:主計局主計官(建設、公共事業担当)。
- 1982年6月11日:理財局資金第一課長。
- 1983年6月7日:理財局総務課長 兼 理財局国庫課長 兼 理財局資金第一課長。
- 1983年6月16日:理財局総務課長。
- 1983年10月4日:理財局総務課長 兼 理財局地方資金課長。
- 1983年10月14日:理財局総務課長。
- 1984年6月27日:東京税関長。
- 1985年6月25日:大臣官房審議官(関税局担当)。
- 1986年6月10日:銀行局検査部長。
- 1987年6月25日:理財局次長(旧理財担当)。
- 1988年6月15日:大臣官房付。
- 1988年6月28日:国土庁長官官房長。
- 1989年8月:内閣官房内閣内政審議室長。
- 1991年6月14日:国土事務次官。
- 1992年6月23日:退官。
脚注
編集- ^ a b 『日本の官庁 その人と組織:大蔵省、経済企画庁』政策時報社、1989年発行、516頁
- ^ 国家試験 昭和33年度国家公務員採用上級試験合格者『官報 第9537号』
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1960年発行、340頁
- ^ 『官報』号外252号、平成18年11月6日
- ^ 公文宏さん死去 朝日新聞 2020/1/11
- ^ 『官報』187号、令和2年2月10日
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1965年発行、367頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1966年発行、378頁
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1976年発行、427頁
- ^ 『週刊金融財政事情 第27巻 第26〜37号』 金融財政事情研究会、1976年発行
- ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1978年発行、481頁