八百屋町 (名古屋市)
名古屋市中区の地名
八百屋町 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 中区 |
町名廃止 | 1966年(昭和41年)3月30日[1] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[2] |
ナンバープレート | 名古屋[3] |
地理
編集江戸時代は名古屋城下町の碁盤割内の町人町であり、長者町筋の本重町筋から入江町筋までの3丁であった[4]。
学区
編集人口
編集国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 89人[5] | |
1955年(昭和30年) | 181人[5] | |
1960年(昭和35年) | 182人[6] | |
1965年(昭和40年) | 126人[6] |
歴史
編集地名の由来
編集『尾張名陽図会』によると、当町に野菜商が多く居住していたことに由来するという[4]。
沿革
編集- 明治4年 - 一部が下長者町に編入され、また光明寺町を編入する[1]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 名古屋区成立に伴い、同区八百屋町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市八百屋町となる[1]。
- 1901年(明治34年) - 服部謙三郎商店が焼失[7]。店は宮町1丁目に移り、再建される[7]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区八百屋町となる[1]。
- 1936年(昭和11年)1月1日 - 一部が広小路通に編入される[8]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区八百屋町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区八百屋町となる[1]。
- 1963年(昭和38年)3月20日 - 一部が白川町に編入される[9]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 全域が栄二丁目に編入され、消滅[1]。
施設
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h 名古屋市計画局 1992, p. 783.
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1344.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 80.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 74.
- ^ a b 北見昌郎 2016, p. 41.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 782.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 787.
参考文献
編集- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 北見昌郎『愛知千年企業 大正時代編』中日新聞社、2016年2月12日。ISBN 978-4-8062-0701-6。