倉敷市立万寿小学校

岡山県倉敷市にある小学校

倉敷市立万寿小学校(くらしきしりつ ますしょうがっこう)は、岡山県倉敷市倉敷地域内の万寿地区にある市立小学校1873年(明治6年)設立、2023年(令和5年)に創立150周年を迎えた伝統校であり、卒業生は18,331人(2023年3月時点)に及ぶ。2023年5月時点の在校児童数は857人[1]

倉敷市立万寿小学校
山陽本線車窓から(2023年8月)
地図北緯34度36分26.7秒 東経133度46分17.4秒 / 北緯34.607417度 東経133.771500度 / 34.607417; 133.771500座標: 北緯34度36分26.7秒 東経133度46分17.4秒 / 北緯34.607417度 東経133.771500度 / 34.607417; 133.771500
過去の名称 誘新小学
三進小学
尋常三進小学校
尋常萬壽小学校
萬壽尋常小学校
倉敷市萬壽国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 倉敷市
設立年月日 1873年7月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B133210000369 ウィキデータを編集
所在地 710-0062
岡山県倉敷市浜町2丁目3番1号
外部リンク www.kurashiki-oky.ed.jp/masu-e/ ウィキデータを編集
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校歌と並んで「ますの子の歌」という歌が1974年(昭和49年)から歌い継がれており[注釈 1]、「ますの子 たらの子 にしんの子 それは北海道の魚です」と始まる独特の歌詞が近年話題となっている[6][2][4]

沿革

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《主要な出典:[7]

  • 1873年明治06年)7月 - 浜村の西方寺に誘新小学[8]を創立[9][10]
  • 1876年(明治09年) - 在新小学(平田村に設置)[8]・日新小学(子位庄村に設置)[8]と合併し三進小学(浜村に設置)[11]と改称。なお、平田村・子位庄村にも三進支校をそれぞれ設置[10]
  • 1881年(明治14年) - 平田村の三進支校を成章小学校と改称[注釈 2]
  • 1888年(明治21年)1月 - 支校を統合し尋常三進小学校(浜村に設置)と改称[10]
  • 1889年(明治22年)
    • 4月 - 尋常日吉小学校と合併し尋常萬壽ます小学校(後の万寿村大字浜に設置[13])と改称[10]
    • 4月29日 - 平田村、大島村、福島村、浜村、富久村が合併[14]
    • 6月1日 - 町村制施行により窪屋郡万寿村[注釈 3]が発足。
  • 1890年(明治23年)4月 - 萬壽尋常小学校と改称[10]
  • 1907年(明治40年)4月 - 萬壽尋常高等小学校と改称[9]
  • 1925年大正14年) - 講堂が完成[16]
  • 1927年昭和02年)4月1日 - 万寿村が倉敷町(旧)・大高村と合併して倉敷町が発足。倉敷町立となる。所在地の表記は岡山県都窪郡倉敷町大字浜。
  • 1928年(昭和03年)4月1日 - 市制施行により倉敷市に移行。倉敷市立となる。所在地の表記は岡山県倉敷市浜592番地の1[17]
  • 1931年(昭和06年) - 萬壽尋常小学校と改称。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 倉敷市萬壽国民学校と改称。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、倉敷市立万寿小学校と改称。
  • 1958年(昭和33年) - 校歌制定(作詞:佐藤末治、作曲:西崎嘉太郎)。
  • 1965年(昭和40年)10月1日 - 住居表示の実施により、所在地の表記が変更され、倉敷市浜町2丁目3番1号[18]となる[19]
  • 1968年(昭和43年) - 現在の管理棟・校門・陸橋が完成。
  • 1973年(昭和48年)
  • 1977年(昭和52年) - 屋内運動場(現在の体育館)落成。
  • 1994年平成06年)4月 - 倉敷市教育委員会より「指導法の改善(コンピュータの教育利用)」研究推進校に指定(1995〈平成7〉年度まで)[21]
  • 2023年令和05年)6月17日 - 創立150周年記念式典を挙行[22][23]

学区

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倉敷市川入などが学区になる[24]。卒業生の大多数は、倉敷市立東中学校へ進学する[注釈 4][25]

学区が隣接している学校

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脚注

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注釈

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  1. ^ 作詞は藤井嵩(当時の校長[2])、作曲は大月睦枝[3]。学校の公式ウェブサイトでは「2つめの学校の歌」[4]と言及されており、「校歌」のページに校歌と並んで歌詞が掲載されている[3]。2024年の取材で万寿小学校の副校長は、「ますの子の歌」は学校の創立100周年を記念して1974年(昭和49年)に作られた歌[5]で、当初の題名は「月曜日の歌」であったと回答している[2]
  2. ^ 後に廃校となり本校に統合[9]。そのころには浜村・平田村・子位庄村・大島村立[10]三進小学校(浜村に設置)[12]と称している。
  3. ^ 旧字体萬壽村と表記[15]
  4. ^ 通学区域のうち大内、川入居住者は西中学校へ進学。

出典

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  1. ^ 令和5年度倉敷市立小学校 児童数・学級数”. 倉敷市. 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月28日閲覧。
  2. ^ a b c 中将タカノリ (2024年5月5日). “♪ますの子/たらの子/にしんの子/それは北海道のさかなです 岡山の小学校で歌い継がれる歌が謎すぎる”. まいどなニュース. 神戸新聞社. 2024年5月7日閲覧。
  3. ^ a b 校歌”. 倉敷市立万寿小学校公式ウェブサイト. 2024年11月10日閲覧。
  4. ^ a b 新着情報 : 「ますの子のうた」がまたメディアで取り上げられる予定です。”. 倉敷市立万寿小学校公式ウェブサイト (2024年5月17日). 2024年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月10日閲覧。 “「ますの子のうた」がSNSで「バズった」という話題がありました。確かに一般の小学校では見ることのない、2つめの学校の歌です。[...]”
  5. ^ a b 昭和50年度卒 万寿・万寿東小学校同窓会のウェブサイトへようこそ!”. 昭和50年度卒 万寿小学校・万寿東小学校同窓会 (2016年). 2024年11月10日閲覧。 “4年生時、万寿小学校は創立100周年を迎えました。その年、万寿小学校内で万寿東小学校が開校しました。翌年5月、新校舎完成に伴い、万寿東小学校のきょうだい達が引っ越して行きました。それを機に、あの「ますの子の歌」が出来ました。”
  6. ^ ♪ますの子/たらの子/にしんの子/それは北海道のさかなです 岡山の小学校で歌い継がれる歌が謎すぎる
  7. ^ 沿革概要(万寿小学校 旧ホームページ) - ウェイバックマシン(2013年3月27日アーカイブ分)
  8. ^ a b c 『都窪郡治誌』, p. 416.
  9. ^ a b c 『倉敷市史』(第11冊)名著出版、1974年2月、871頁。NDLJP:9573738/485 
  10. ^ a b c d e f 岡山県都窪郡役所 編『都窪郡治誌』都窪郡、1926年10月、458頁。NDLJP:1020757/244 
  11. ^ 『都窪郡治誌』, p. 418.
  12. ^ 『都窪郡治誌』, p. 421.
  13. ^ 『都窪郡治誌』, p. 426.
  14. ^ 『都窪郡万寿村治誌』岡山県都窪郡万寿村、1927年5月、4-5頁。NDLJP:1191075/10 なお、38頁の小学校廃合状況図は『都窪郡治誌』458頁のものと同じ。
  15. ^ 『都窪郡万寿村治誌』, p. 4.
  16. ^ 倉敷市学校教育百年史編集委員会 編『倉敷市学校教育百年史』倉敷市教育委員会、1975年3月、334頁。NDLJP:12114779/180 
  17. ^ 文部省普通学務局 編『公益法人一覧』(昭和9年3月)文部省、1934年6月、24頁。NDLJP:1279327/18 
  18. ^ 文化研究社編集部 編『全国学校名鑑』(昭和42年版)文化研究社、1967年2月、438頁。NDLJP:3043692/582 
  19. ^ 山陽新聞社 年鑑編集委員会 編『山陽年鑑』(1967年版)山陽新聞社、1966年10月、174頁。NDLJP:3001744/91 。「万寿地区の市街地新住居表示を実施(40.10.1)」 
  20. ^ 創立50周年記念式典 資料(ダイジェスト)”. 倉敷市立万寿東小学校. 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ2024年4月27日閲覧。
  21. ^ 時光康成「小学校算数科におけるコンピュータ活用の一考察」『パピルス』第4号、岡山大学算数・数学教育学会、1997年6月、25頁。 
  22. ^ 倉敷市の伝統校 万寿小で創立150周年記念式典」『KCTニュース』倉敷ケーブルテレビ、2023年6月17日。
  23. ^ 6月17日 授業参観ならびに150周年行事のご案内(2023年6月6日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  24. ^ 小学校の学区一覧表”. 倉敷市. 2024年4月27日閲覧。
  25. ^ 中学校の学区一覧表”. 倉敷市. 2024年4月27日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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