大高村 (岡山県)

日本の岡山県都窪郡にあった村

大高村(おおたかそん)は、かつて岡山県都窪郡にあった自治体である。現在は倉敷市倉敷地域大高葦高老松中洲(一部)地区に分かれている。

おおたかそん
大高村
廃止日 1927年4月1日
廃止理由 新設合併
倉敷町(初代)万寿村大高村倉敷町(2代)
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
都窪郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,584
[1]、1920年)
隣接自治体 倉敷町、万寿村、中洲村福田村(2代)粒江村
大高村役場
所在地 岡山県都窪郡大高村大字沖
地図
旧・大高村役場庁舎位置
(現在の大高小学校付近)[2]
座標 北緯34度34分44秒 東経133度45分29秒 / 北緯34.579度 東経133.75803度 / 34.579; 133.75803 (大高村)座標: 北緯34度34分44秒 東経133度45分29秒 / 北緯34.579度 東経133.75803度 / 34.579; 133.75803 (大高村)
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概要

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1901年(明治34年)4月1日に葦高村と大市村が合併して発足し、村名は各村から一文字ずつ取った合成地名である。東高梁川の沖積によって阿智潟と呼ばれる干潟が存在し、江戸期に本格的に開発された新田地帯であった[1]

地理

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  • 山:足高山

沿革

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  • 1889年明治22年)6月1日 - 窪屋郡笹沖村・吉岡村・西中新田村・白楽市村・老松村が合併し、同郡葦高村(あしたかそん)を新設。また同郡沖村・安江村・四十瀬村・富井村・福井村が合併し同郡大市村(おおいちそん)を新設。
  • 1900年(明治33年)4月1日 - 郡の統合により都窪郡となる。
  • 1901年(明治34年)4月1日 - 葦高村・大市村が合併し、大高村を新設。合併各村の10大字を継承し、役場を沖に設置[1]
  • 1927年昭和2年)4月1日 - 都窪郡倉敷町(初代)・万寿村と対等合併し、新・倉敷町を新設する。
  • 1928年(昭和3年)4月1日 - 新・倉敷町が市制施行し、倉敷市(初代)となる。
  • 1935年(昭和10年) - 役場所在地であった沖の一部が堀南となる[3]
  • 1978年(昭和53年) - 沖の一部が田ノ上新町・沖新町となる[3]

当時の主要施設

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地域

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当時の管轄地域は、現在の地域では以下の通り。いずれも倉敷市。

老松
老松(老松・田ノ上・田ノ上新町)、白楽市(白楽町)
葦高
笹沖(国道2号岡山バイパス以北除く)、吉岡、堀南(国道2号岡山バイパス以北除く)
大高
沖(沖・沖新町)、四十瀬、富井(上富井・西富井・東富井)、福井、笹沖(国道2号岡山バイパス以北)、堀南(国道2号岡山バイパス以北)
中洲
安江

脚注

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参考文献

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  • 岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社
  • 『岡山県市町村合併誌 市町村編』(昭和35年)岡山県
  • 巌津政右衛門 『岡山地名事典』(1974年)日本文教出版社
  • 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻』(1981年)平凡社

関連項目

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