保久町
保久町(ほっきゅうちょう)は愛知県岡崎市額田地区の町名。丁番を持たない単独町名であり、104の小字が設置されている。
保久町 | |
---|---|
北緯35度0分20.73秒 東経137度17分58.74秒 / 北緯35.0057583度 東経137.2996500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 岡崎市 |
地区 | 額田地区 |
町名制定[1] | 2006年(平成18年)1月1日 |
面積 | |
• 合計 | 6.118735048 km2 |
人口 | |
• 合計 | 252人 |
• 密度 | 41人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
444-3442[4] |
市外局番 | 0564(岡崎MA)[5] |
ナンバープレート | 岡崎 |
地理
編集岡崎市東部に位置する。町内を保久川が西流した後南流する。住宅地は河川沿岸に形成され、その他は森林・農地として利用されている。
河川
編集字
編集
|
|
|
世帯数と人口
編集2019年(令和元年)5月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[3]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
保久町 | 106世帯 | 252人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移
2010年(平成22年) | 251人 | [6] | |
2015年(平成27年) | 246人 | [7] |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
番・番地等 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 岡崎市立下山小学校 | 岡崎市立額田中学校 |
歴史
編集ほっきゅうむら 保久村 | |
---|---|
廃止日 | 1889年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 保久村、中伊村、一色村、外山村、冨尾村 → 下山村 |
現在の自治体 | 岡崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 額田郡 |
隣接自治体 |
額田郡 冨尾村、桜形村、鍛埜村、中伊村 一色村、外山村、蕪木村、田代村 |
保久村役場 | |
所在地 | 愛知県額田郡保久村 |
ウィキプロジェクト |
額田郡保久村を前身とする。鎌倉時代から三河守護足利氏被官の山下氏が保久城を拠点としていたが、室町時代後期の1461年に松平宗家第3代松平信光により滅ぼされた[10][11]。江戸時代には、1651年旗本石川氏知行となり保久陣屋が置かれた[12]。
沿革
編集この節の加筆が望まれています。 |
史跡
編集交通
編集施設
編集この節の加筆が望まれています。 |
その他
編集日本郵便
編集脚注
編集- ^ a b “「4 新旧町名対照一覧表」” (XLS). 岡崎市. 2019年5月26日閲覧。
- ^ “愛知県岡崎市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年5月19日閲覧。
- ^ a b “支所・町別人口・世帯集計表(各月1日現在)” (XLS). 岡崎市(統計ポータルサイト) (2019年5月1日). 2019年5月19日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年5月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年5月19日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 2019年3月23日閲覧。
- ^ “岡崎市立小中学校通学区域”. 岡崎市 (2018年6月9日). 2019年5月19日閲覧。
- ^ “岡崎まちものがたり 47 下山学区”. 岡崎市ホームページ (2023年7月14日). 2024年1月17日閲覧。
- ^ 『中世城館跡調査報告Ⅱ』,『額田町史』P132~P133
- ^ 「額田町のあゆみ」岡崎教育ネットワーク
- ^ 『ぬかた町文化財めぐり』44頁、『額田町史』289~297頁。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年5月18日閲覧。
参考資料
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 有限会社平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4-582-49023-9。