保久城
保久城(ほっきゅうじょう)[1]は、愛知県岡崎市保久町にあった中世の日本の城(山城)。
保久城 (愛知県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 寛喜(1230年ごろ)[1] |
主な城主 | 山下義道 |
廃城年 | 不明(1461年以降) |
遺構 | 堀切、曲輪 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度00分29.0秒 東経137度18分02.9秒 / 北緯35.008056度 東経137.300806度座標: 北緯35度00分29.0秒 東経137度18分02.9秒 / 北緯35.008056度 東経137.300806度 |
地図 |
概要
編集『額田町史』[1] によると建造されたのは1230年ごろとされており、額田地区内でもっと古いとされる城である。初代城主は山下義道と記されている。山下氏は平家出身で、三河守護足利氏の被官となり、室町幕府が誕生すると奉公衆に取り立てられたが、室町時代後期の1461年に円川合戦で、松平宗家第3代松平信光により第9代山下庄左衛門庄重久が滅ぼされ、以後廃城となった[2][3][4][5]。