佐多久利
江戸時代前期の薩摩藩士
佐多 久利(さた ひさとし)は、江戸時代前期の薩摩藩士。佐多氏15代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 正保3年1月24日(1646年3月11日) |
死没 | 寛文11年2月21日(1671年3月31日) |
改名 | 米松丸(幼名)→久利 |
別名 | 通称:丹波 |
戒名 | 浄光院殿玉峯全白居士 |
墓所 | 鹿児島県南九州市知覧町郡の島津墓地 |
主君 | 島津光久 |
藩 | 薩摩知覧私領主 |
氏族 | 肝付氏→佐多氏 |
父母 |
父:肝付兼屋、母:島津家久五女 養父:佐多久孝 |
兄弟 | 肝付久兼、男子、久利 |
子 | 養子:島津久逵 |
生涯
編集正保3年(1646年)1月24日、肝付兼屋の三男として生まれる。明暦2年(1656年)、佐多久孝の養子となって佐多氏の家督を相続する。
寛文10年(1670年)、藩主・島津光久の帰国許可の謝礼使として江戸に下り、江戸城で将軍・徳川家綱に拝謁した。
寛文11年(1671年)2月21日没、享年26。家督は母方の従弟にあたる虎三郎(光久の五男)が養子となって相続した。
参考文献
編集- 『知覧郷土史』
- 『知覧町郷土誌』