佐久間信尹
日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本佐久間豊信の子で、信重系佐久間氏5代当主。御書院番・御徒歩頭・留守居役を歴任
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保17年(1732年) |
死没 | 寛政8年12月7日(1797年1月4日) |
別名 | 通称:小膳 |
戒名 | 浄性 |
墓所 | 東京都港区芝の瑠璃光寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川家重→家治→家斉 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間豊信 |
妻 | 中川勘三郎忠易の娘 |
子 |
釻吉、常之丞、丑五郎、 佐久間信幸室(後佐久間信崇室) 養子:信幸、信崇 |
元文元年(1736年)8月2日、わずか5歳にして家督(800石)を相続した。寛延2年(1749年)7月30日、御書院番に列せられた。宝暦3年(1753年)12月14日、中奥番士に転任。さらに安永4年(1775年)7月12日には御徒歩頭に転任し、閏12月11日には布衣を許された。
安永5年(1776年)4月、将軍家治の日光参詣に供奉した。寛政2年(1790年)2月4日、御留守居番に転任。寛政3年(1791年)1月22日、自家の仕置に問題ありとして小普請に格下げされ、出仕停止とされたが、4月23日に赦された。
寛政8年(1796年)12月7日、死去。享年65。