佐久間信正
日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本佐久間信登の子で、信則系佐久間氏(信重系佐久間氏分家)4代当主。大番を勤める
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保3年(1718年) |
死没 | 宝暦7年8月21日(1757年10月3日) |
改名 | 信正→虎貫(号) |
別名 | 通称:八郎兵衛 |
戒名 | 日通 |
墓所 | 谷中一乗寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
氏族 | 佐久間氏 |
父母 | 父:佐久間信登、母:揖斐五左衛門政豊娘 |
子 |
佐久間信賢室 養子:成庸(本多成恭三男)、信賢(奈佐四兵衛勝英五男) |
享保20年(1735年)5月6日、父・佐久間信登より家督(蔵米300俵)を継ぐ。元文元年(1736年)12月23日、大番に列せられる。寛延3年(1750年)10月28日、大番を辞した。
宝暦5年(1755年)4月10日、隠居。家督を養子の信賢に譲る。隠居後は虎貫と号した。
宝暦7年(1757年)8月21日、死去。享年40。