佐世保市立神浦小学校
長崎県佐世保市にある小学校
佐世保市立神浦小学校(させぼしりつ こうのうらしょうがっこう、Sasebo City Konoura Elementary School)は、長崎県佐世保市宇久町神浦にあった公立小学校。
佐世保市立神浦小学校 | |
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北緯33度15分17.6秒 東経129度6分10.5秒 / 北緯33.254889度 東経129.102917度座標: 北緯33度15分17.6秒 東経129度6分10.5秒 / 北緯33.254889度 東経129.102917度 | |
過去の名称 |
神浦小学校 神村小学校 尋常神浦小学校 神浦尋常高等小学校 神浦村神浦国民学校 神浦村立神浦小学校 宇久町立神浦小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐世保市 |
併合学校 |
宇久町立小浜小学校 宇久町立寺島小学校 宇久町立飯良小学校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
閉校年月日 | 2016年(平成28年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
小中高一貫教育 |
(連携型) 佐世保市立宇久中学校 長崎県立宇久高等学校 |
学期 | 2学期制 |
所在地 | 〒857-4811 |
長崎県佐世保市宇久町神浦1632番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
2016年(平成28年)3月末に閉校し、佐世保市立宇久小学校に統合された。
概要
編集- 歴史
- 1874年(明治7年)に開校した「神浦小学校」を前身とする。2009年(平成21年)に創立135周年を迎えた。2007年(平成19年)より佐世保市立宇久中学校、長崎県立宇久高等学校と連携型小・中・高一貫教育を行っていた。
- 学校教育目標
- 「心やさしく、進んで学び、たくましく生きる子どもの育成」
- 校章
- 1962年(昭和37年)に制定。作者は見明忠雄。
- 校歌
- 作詞は尼崎長保、作曲は田元千之による。3番まであり、各番とも「ああ神浦 神浦小学校」で終わる。
- 校区
- 「長崎県佐世保市宇久町」の後に「小浜、神浦、飯良(いいら)、本飯良(もといいら)、寺島」が続く地域であった(宇久島南部)。中学校区は佐世保市立宇久中学校。
沿革
編集- 神浦小学校
- 1874年(明治7年)- 「神浦小学校」が開校。神浦村出口町代官邸を校舎とする。
- 1875年(明治8年)- 校舎を神浦郷字長坂に移転。
- 1878年(明治11年)- 「神村小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により「尋常神浦小学校」と改称。
- 1888年(明治21年)- 校舎を再び旧代官邸に移転。
- 1896年(明治29年)- 「神浦尋常高等小学校」と改称。
- 1898年(明治31年)- 小浜尋常小学校を合併し、小浜分校とする。
- 1901年(明治34年)- 小浜分校が分離し、再び小浜尋常小学校として独立。
- 1905年(明治38年)- 新築校舎が完成。
- 1911年(大正2年) - 長崎測候所管内神浦気象観測を命じられ、1977年(昭和52年)まで観測を継続。
- 1917年(大正8年)- 高等科3学年を設置。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「神浦村神浦国民学校」と改称。尋常科を初等科に改称。
- 1942年(昭和17年)~1947年(昭和22年)までの間 - 神田藤兵衛からの寄贈によって、現在地に校舎を建設。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)
- 旧・神浦国民学校初等科を改組し、「神浦村立神浦小学校」とする。
- 旧・神浦国民学校高等科を改組し、神浦村立神浦中学校(新制中学校)とする。当面の間小学校に併設する。
- 1948年(昭和23年)- PTAが発足。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 神浦村と平町が合併し、宇久町となったことにより、「宇久町立神浦小学校」と改称。
- 1960年(昭和35年)- 校歌を制定。
- 1962年(昭和37年)- 校章を制定。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 宇久町立小浜小学校を統合。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 宇久町立寺島小学校を統合し、寺島分校とする。
- 1977年(昭和52年)3月31日 - 寺島分校を廃止。
- 1979年(昭和54年)3月16日 - 火災により、第1校舎を焼失。
- 1980年(昭和55年)
- この年 - 新校舎が完成。
- 4月1日 - 飯良小学校を統合。
- 1981年(昭和56年)- 創立100周年記念基金による植樹を実施。
- 1984年(昭和59年)- ふれあい農園が完成。
- 1985年(昭和60年)- 体育館(へき地集会所)が完成。
- 1986年(昭和61年)- 運動場を全面改装。
- 1988年(昭和63年)- 瀬尾関好より校旗が寄贈される。
- 1990年(平成2年)- 飼育小屋が完成。
- 1993年(平成5年)- 砂場、プールが完成。
- 1998年(平成10年)- パソコン室を設置。
- 2005年(平成17年)3月31日 - 併設の佐世保市立神浦中学校が廃止。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 宇久町の佐世保市編入に伴い、「佐世保市立神浦小学校」(現校名)に改称。長崎県より宇久地区小中高一貫教育研究の指定を受ける。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 宇久地区連携型小中高一貫教育試行を開始。 2学期制を導入。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 宇久地区連携型小中高一貫教育を本格的に開始。
- 2016年(平成28年)
- 3月6日 - 閉校式を挙行。
- 3月31日 - 佐世保市立宇久小学校への統合により、閉校。142年の歴史に幕を閉じる。
- 旧・飯良小学校(いいら)
- 1874年(明治7年)3月 - 本良郷宮ノ首に「本良小学校」として開校。
- 1876年(明治9年)1月 - 統合により、「宇久小学校本良分校」となる。
- 1878年(明治11年)11月 - 校地を古里に移転し、「宇久小学校 大久保分校」に改称。
- 1887年(明治20年)4月 - 小学校令の施行により、宇久小学校から分離し「簡易大久保小学校」として独立。宇久小学校から照島分校(後の寺島分校)が移管される。
- 1888年(明治21年)5月18日 - 尋常科を設置の上、「尋常大久保小学校」に改称。新校舎が完成。
- 1892年(明治25年)10月 - 「飯良尋常小学校」に改称。
- 1903年(明治36年)1月31日 - 寺島分校が分離し、寺島尋常小学校として独立。
- 1906年(明治39年)7月16日 - 農業補習学校を併設。
- 1907年(明治40年)9月 - 本飯良郷字見上げの下に校舎一棟が完成。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の改正により、義務教育年限(=尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を新設。
- 1918年(大正7年)5月1日 - 野方(のがた)尋常小学校の廃止により、木場郷の児童46名を収容。
- 1922年(大正11年)4月1日 - 高等科を併置の上「飯良尋常高等小学校」に改称。
- 1927年(昭和2年)12月 - 2教室を増築。運動場を拡張。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「平村飯良国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 国民学校の初等科が改組され「平村立飯良小学校」に改称。
- 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、「平村立飯良中学校」(新制中学校)が発足。小学校に併設される。
- 1949年(昭和24年)8月1日 - 「平町立飯良小学校」・「平町立飯良中学校」に改称。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 宇久町の発足により「宇久町立飯良小学校」・「宇久町立飯良中学校」に改称。
- 1960年(昭和35年)4月 - 小学校の児童数が最大の251名(6学級)を記録する。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 校区の変更により、飯良中学校の一部の生徒が宇久町立神浦中学校へ転出。
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 飯良中学校が宇久町立神浦中学校への統合により閉校。これにより小学校単独となる。
- 1968年(昭和43年)3月 - 校歌を制定。観察池を設置。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 完全給食を開始。
- 1974年(昭和49年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行。記念事業として校旗を制定。
- 1980年(昭和55年)3月31日 - 宇久町立神浦小学校への統合により閉校。106年の歴史に幕を下ろす。
- 校章 - 「小」の文字の上に「飯」の文字を重ねている。
- 校歌 - 作詞は金井田平和、作曲は藤松スエによる。歌詞は3番まであり、3番に校名の「飯良」が登場する。
- 旧・寺島小学校
- 明治(年月日不詳)- 「照島小学校」が創立。
- 1876年(明治9年)1月 - 統合により、「宇久小学校 照島分校」となる。
- 1887年(明治20年)4月 - 移管により、「簡易大久保小学校 照島分校」となる。平屋建ての校舎が完成。
- 1888年(明治21年)5月18日 - 「尋常大久保小学校 照島分校」に改称。
- 1892年(明治25年)10月 - 「飯良尋常小学校 照島分校」に改称。
- 1903年(明治36年)1月31日 - 飯良尋常小学校から分離し、「寺島尋常小学校」として独立。初代校長に伊藤仁作が就任。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 校舎を増築。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月1日 - 尋常科6年を新設。
- 1915年(大正4年)6月5日 - 寺島郷字牧ノ出に新校舎が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「平村寺島国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 高等科(修業年限2年)を設置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 国民学校の初等科が改組され、「平村立寺島小学校」となる。
- 国民学校の高等科が改組され、「平村立寺島中学校」(新制中学校)が発足。小学校に併設。
- 1949年(昭和24年)8月1日 - 「平町立寺島小学校」・「平町立寺島中学校」に改称。
- 1950年(昭和25年)
- 7月11日 - 校舎を増築。
- 11月 - 運動場を拡張。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 宇久町の発足により「宇久町立寺島小学校」・「宇久町立寺島中学校」に改称。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 寺島中学校が宇久町立神浦中学校に統合される。寺島地区の中学生はスクールボート「みつしま丸」で神浦中学校へ通学することになる。
- 1966年(昭和41年)2月 - 完全給食を開始。
- 1972年(昭和47年)3月31日 - 宇久町立神浦小学校への統合により閉校。寺島地区の小学校はスクールボートで神浦小学校へ通学することになる。
- 旧・小浜小学校
- 1876年(明治9年)6月10日 - 「神浦小学校 遊神分校」が開校。神小浜郷字中村の若宮神社を仮校舎とする。
- 1878年(明治11年)- 「神村小学校 遊神分校」に改称。
- 1886年(明治19年)4月 - 小学校令の施行により、「尋常小浜小学校」として独立。後に「小浜尋常小学校」に改称。
- 1898年(明治31年)4月 - 統合により「神浦尋常高等小学校 小浜分校」となる。
- 1901年(明治34年)4月 - 再び「小浜尋常小学校」として独立。
- 1902年(明治35年)- 小浜郷字小浜坂に移転。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)
- 4月 - 尋常科6年を新設。
- 9月 - 2教室を増築。
- 1925年(大正14年)6月16日 - 運動場を拡張。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「神浦村小浜国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。高等科を併置。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、国民学校初等科が改組され、「神浦村立小浜小学校」に改称。旧・高等科の生徒は神浦中学校に通学することになる。
- 1950年(昭和25年)3月 - 2教室を増築。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 宇久町の発足により「宇久町立小浜小学校」に改称。
- 1958年(昭和33年)4月 - 児童数が最大の221名(6学級)を記録する。
- 1964年(昭和39年)9月5日 - 通学路が舗装され「愛小道路」と命名。
- 1968年(昭和43年)3月31日 - 宇久町立神浦小学校への統合により閉校。92年の歴史に幕を下ろす。
学校行事
編集2学期制をとる。
アクセス
編集- 最寄りのバス停
- 宇久観光バス 「鬼塚」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
編集- 宇久神浦郵便局
同名の小学校
編集脚注
編集参考文献
編集- 「宇久町郷土誌」(2003年(平成15年)3月31日、宇久町教育委員会)
- p. 525 - (神浦小学校)、p.535 - (飯良小学校)、p. 540 - (寺島小学校)、p.545 - (小浜小学校)