伊達村将
伊達 村将(だて むらまさ)は、江戸時代中期の武士。陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家7代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 明和元年(1764年) |
死没 | 寛政4年10月27日(1795年4月1日) |
改名 | 藤徳(幼名)→村将 |
別名 | 龍登、下総、左兵衛 |
主君 | 伊達重村→斉村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達村富 |
兄弟 | 村将、塩森直董 |
子 | 宗隆 |
生涯
編集明和元年(1764年)、岩谷堂伊達家6代当主・伊達村富の子として生まれる。
安永2年(1773年)、父・村富の隠居により家督を相続し、岩谷堂邑主となる。天明3年(1783年)の天明の飢饉の際に、倉を開いて領民を救済した。米作に代わる産業の育成のため、家臣・三品茂左衛門に領内の名産の欅や漆を使って、車付きの箪笥を製作させたのが岩谷堂箪笥の始まりと伝わる。
参考文献
編集- 『仙台人名大辞書』
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