伊達宗隆
伊達 宗隆(だて むねたか)は、江戸時代中期から後期にかけての武士。陸奥国仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達家8代当主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 天明3年(1783年) |
死没 | 文政7年1月27日(1824年2月26日) |
改名 | 隆兼(初名)→宗隆 |
別名 | 大炊、右近 |
主君 | 伊達斉村→周宗→斉宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 伊達氏 |
父母 | 父:伊達村将 |
子 | 宗嵩 |
生涯
編集天明3年(1783年)、岩谷堂伊達家7代当主・伊達村将の子として生まれる。
初名は隆兼(たかかね)、のちに仙台藩9代藩主・伊達周宗より偏諱を受け宗隆に改名[1]。
寛政7年(1795年)2月、父の死去により家督を相続し岩谷堂邑主となる。寛政9年(1797年)、領内で百姓一揆が発生し、岩谷堂の館に迫ったため、家老の伊藤森之助を派遣して、本藩に願書を取り次ぐ要求を受け入れて解散させた。一揆は仙台藩の諸方に伝播し、藩は「寛政の御転法」と呼ばれる農民懐柔策をとることとなった。
脚注
編集
参考文献
編集- 『仙台人名大辞書』
|
|
|