伊達村倫 (登米伊達家)
登米伊達家当主
伊達 村倫(だて むらとも)は、江戸時代中期の陸奥国仙台藩一門第五席・登米伊達家7代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 正徳5年(1715年) |
死没 | 寛保2年7月25日(1742年8月25日) |
改名 | 羊之助(幼名)、村倫 |
別名 | 相模、近江(通称) |
主君 | 伊達吉村 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 登米伊達家 |
父母 |
伊達村和、清心院 伊達村永 |
兄弟 | 村詮、卯三郎、三沢村清、駒五郎、村倫、しほ、律道 |
妻 | 伊達村景娘・伏 |
子 | 村勝、村良 |
生涯
編集正徳5年(1715年)、元中津山藩主・伊達村和の子として誕生した。幼名は中村羊之助。
享保9年(1724年)、登米伊達家6代当主・伊達村永の死去により、その家督を相続し登米邑主となる。享保10年(1725年)1月、仙台藩5代藩主・伊達吉村の加冠で元服し、偏諱を受け村倫と名乗る。
日置流射術を氏家豊寿に、柳生新陰流刀術を丹野了幻に、高麗流八条家馬術を佐伯次芳に、正伝流兵術を家臣羽田景道に、それぞれ学んだ。
出典
編集- 『伊達族譜』