伊東二郎丸

実業家、政治家、華族

伊東 二郎丸(いとう じろまる、1883年明治16年)8月29日[1] - 1969年昭和44年)11月2日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家華族貴族院子爵議員

伊東二郎丸

経歴

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東京府海軍中将伊東祐麿の二男として生まれた[1][3][4]。父の死去に伴い、1906年(明治39年)3月14日、子爵を襲爵した[1][3][5]

学習院高等学科を経て、1910年(明治43年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[2][3][6]1912年日本製鋼所に入社し室蘭に転居[3][4]。その後、イギリスに2年間留学し、帰国後、高砂商工銀行取締役に就任[3][4]。電気化学工業取締役なども務めた[3]

水野直子爵の導きで政界を志し、東京帝大在学中に尚友会に入会[4]1923年(大正12年)8月11日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]研究会に所属[2]。水野直の推薦で1925年(大正14年)に加藤高明内閣海軍参与官に就任[2][3][4]。以後、第1次若槻内閣・海軍参与官、濱口内閣陸軍政務次官鈴木貫太郎内閣外務政務次官、社会保険調査会委員、地方分与税委員会委員、外務省委員、学習院評議会会員などを歴任した[2][3]。貴族院議員に四期在任して1946年(昭和21年)5月9日に辞職した[2][9]。同年公職追放となった[10]

著作

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  • 『貴族院改革の諸問題』亜細亜評論社、1938年。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成』上巻、163頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』35頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『人事興信録』第14版 上、イ48-49頁。
  4. ^ a b c d e 『政治家群像』149-153頁。
  5. ^ 『官報』第6810号、明治39年3月15日。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 明治43-44年』東京帝国大学、1911年、学士及卒業生姓名85頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、31頁。
  8. ^ 『官報』第3311号、大正12年8月13日。
  9. ^ 『官報』第5803号、昭和21年5月22日。
  10. ^ 『朝日年鑑』昭和22年版、90頁、「公職追放者一覧」。
  11. ^ a b c 『人事興信録』第26版 上、い74頁。

参考文献

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  • 中外商業新報編輯局編『政治家群像』千倉書房、1932年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第26版 上、1971年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 『朝日年鑑』昭和22年版、朝日新聞社、1947年。
日本の爵位
先代
伊東祐麿
子爵
伊東(祐麿)家第2代
1906年 - 1947年
次代
華族制度廃止