井口丑二

宗教家、ジャーナリスト、政治家

井口 丑二(いのくち うしじ、慶応元年2月22日1865年3月19日) - 昭和2年(1927年9月20日[1])は、日本宗教家政治家

長崎県南高来郡南有馬村(現・南島原市)生まれ[2]1882年-1886年、同郡口之津村小学校訓導[2]1887年-1889年、口之津村役場書記、有給助役[2]1890年-1898年、『長崎新聞』編集に従事[2]1894年1898年長崎県会議員に当選[2]1899年-1903年、新聞事業調査のためイギリスフランスアメリカ合衆国に出張[2]1904年-1905年、杉井組経理担当社員として大韓帝国で勤務[2]。帰国後1906年二宮尊徳を知り[2]その研究に専念[3]地方改良運動に従事する農商務省嘱託職員として岐阜県恵那郡蛭川村に入り、1916年廃仏毀釈の徹底した同村に大日本神国教(神国教)を創始、尊徳の思想の普及に努めた[4]1927年尊徳全集の刊行を計画し、その編集に関わった[3]

脚注

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  1. ^ 『碑と道標 (郷土のしらべ ; no.6)』(蛭川村教育委員会、1980年)p.50-51
  2. ^ a b c d e f g h 大橋博明 「井口丑二と神国教--いわゆる地方改良との関連において」『中京大学教養論叢』19巻4号、中京大学教養部、1979年3月、p.559,563
  3. ^ a b 井口 丑二 イノクチ ウシジ 20世紀日本人名事典
  4. ^ 井口丑二 いのくち うしじ デジタル版日本人名大辞典

外部リンク

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