二見 (砲艦)
二見(ふたみ)は、日本海軍の砲艦。熱海型砲艦の2番艦である。艦名は三重県の名勝「二見浦」にちなんで名づけられた。
艦歴 | |
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計画 | 1927年度 |
起工 | 1929年6月25日 |
進水 | 1929年11月20日 |
就役 | 1930年2月28日 |
除籍 | 1945年9月30日 |
性能諸元(竣工時) | |
排水量 | 基準:205t 公試:249t |
全長 | 46.3m |
全幅 | 6.79m |
吃水 | 1.13m (公試平均) |
主缶 | ロ号艦本式混焼缶2基 |
主機 | 直立2気筒2段膨張直動式レシプロ2基2軸 1,300hp |
速力 | 16.0kt |
航続距離 | 1,000NM / 10.0kt (石炭31t 重油26t) |
乗員 | 54名 |
兵装 (竣工時) |
短8cm単装高角砲1門 留式7.7mm機銃5挺 |
兵装 (1941) |
8cm単装高角砲1門 留式7.7mm機銃5挺 13mm連装機銃1基 |
艦歴
編集藤永田造船所において建造され、1930年2月28日に竣工、二等砲艦に類別された。
1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の第一次上海事変において、上海や長江方面の警備に従事した。1933年6月25日、宜昌から重慶に遡行中、巫山付近で座礁し、7月8日に離礁後、上海において修理を行った。支那事変(太平洋戦争勃発前の日中戦争)において、上海陸上作戦の支援、長江遡行作戦に加わった。太平洋戦争においては、長江流域の警備に従事した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。
終戦時には航行不能の状態で上海にあり、その後、中華民国に接収され国府海軍の「永安 Yung-An」となった。 1949年11月29日に郝穴と共に中国人民解放軍海軍へ降り、「珠江 Zhu Jian」と改名され1960年代に除籍される。
艦長
編集※階級は就任時のもの。
- 艤装員長
- 堀勇五郎 少佐:1929年11月30日 - 1930年2月28日[1]
- 艦長
- 堀勇五郎 少佐:1930年2月28日 - 1931年8月20日[1][2]
- 中原三郎 少佐:1931年8月20日[2] - 1932年5月20日[3]
- 古木百蔵 少佐:1932年5月20日[3] - 1933年11月15日[4]
- 大石堅志郎 中佐:1933年11月15日[4] - 1934年11月15日[5]
- 丸安金兎 少佐:1934年11月15日[5] - 1935年10月10日[6]
- 倉永恒記 少佐:1935年10月10日[6] - 1936年3月11日[7]
- 有田貢 中佐:1936年3月11日[7] - 1937年11月15日[8]
- 沢勇夫 少佐:1937年11月15日[8] - 1939年1月18日[9]
- 溪口泰麿 少佐:1939年1月18日[9] - 1939年8月24日[10]
- 伊豆寿市 少佐:1939年8月24日[10] - 1940年4月24日[11]
- 志村正 少佐:1940年4月24日[11] - 1941年2月10日[12]
- 金井博 少佐:1941年2月10日[12] -
- 奥村三郎 中佐:1941年3月20日[13] - 1941年9月10日[14]
- 渡辺硯夫 少佐:1941年9月10日[14] -
同型艦
編集脚注
編集- ^ a b 『日本海軍史』第10巻、411頁。
- ^ a b 『官報』第1394号、昭和6年8月21日。
- ^ a b 『官報』第1615号、昭和7年5月21日。
- ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ a b 『官報』第2634号、昭和10年10月11日。
- ^ a b 『官報』第2756号、昭和11年3月12日。
- ^ a b 「海軍辞令公報 号外 第91号 昭和12年11月15日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072500
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第288号 昭和14年1月18日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第372号 昭和14年8月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076200
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第469号 昭和15年4月24日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077900
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第591号 昭和16年2月12日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080400
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第605号 昭和16年3月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080500
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第708号 昭和16年9月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000