久我惟通
江戸時代中期の公卿
久我 惟通(こが これみち)は、江戸時代中期の公卿。内大臣・久我通誠の子。官位は従一位・右大臣。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享4年10月30日(1687年12月4日) |
死没 | 寛延元年9月29日(1748年10月21日) |
改名 | 輔通→惟通 |
別名 | 号:後志禅院 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 東山天皇→中御門天皇→桜町天皇 |
氏族 | 久我家 |
父母 | 父:久我通誠、母:千種有維の娘 |
兄弟 | 養兄弟:冬姫 |
妻 | 細川綱利の養女 |
子 | 通兄 |
経歴
編集初名は輔通。元禄6年(1693年)に叙爵し、以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将を経て、元禄15年(1702年)に従三位となり、公卿に列する。権中納言を経て正徳元年(1711年)に神宮伝奏となる。正徳4年(1714年)に権大納言に任じられる。
享保12年(1727年)右近衛大将・右馬寮御監に就任する。享保15年(1730年)には右近衛大将を辞職して内大臣に転じる。元文元年(1736年)まで務めた。延享2年(1745年)に右大臣に任ぜられるも辞した。