丹平製薬
丹平製薬株式会社(たんぺいせいやく、英称:Tampei Pharmaceutical Co.,Ltd.)は、大阪府茨木市宿久庄に本社を置く製薬会社である。1894年創業。
本社 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒567-0051 大阪府茨木市宿久庄2丁目7番6号 |
設立 | 1936年 |
業種 | 医薬品 |
法人番号 | 6120901001244 |
事業内容 | 医薬品・日用衛生家庭用品・化粧品・健康食品・機能性食品の製造販売 |
代表者 | 代表取締役社長 森宏之 |
資本金 | 5,000万円 |
従業員数 | 約100名 |
外部リンク | https://www.tampei.co.jp/ |
コーポレート・メッセージは「清潔で健やかな暮らしを創造する」
概要
編集創業者の森平兵衛が、1894年(明治27年)に大阪・心斎橋にて医薬品の製造販売をおこなう「丹平商会」を設立する。社名は当時流行していた屋号「丹波屋」と、自身の苗字から「平」を取って命名された。
過去には、同社が写真関連の薬品、写真用品などを扱っていたことから、1924年(大正13年)に、当時同社が本社を置いていた心斎橋2丁目に「丹平ハウス」を建設し、ここから上田備山、安井仲治などの才能が集まり「丹平写真倶楽部」を結成するなど、難波・心斎橋間のモダニズムに貢献した。
虫歯用痛み止め薬の「新今治水」や、便秘薬「健のう丸」[注釈 1]に加え、水虫・たむし用の塗り薬の「アスター軟膏」などの医薬品を取り扱っている。この他にも育児用品やトイレタリー分野では、「アトピタ」シリーズのベビーソープ、ベビーシャンプーなどを発売している。
事業所
編集沿革
編集- 1894年(明治27年) 創業者・森平兵衛が医薬品製造販売業として丹平商会を大阪・心斎橋に設立
- 1896年(明治29年)「健脳丸」[1](現・「健のう丸」)を発売
- 1898年(明治31年) 「今治水」発売
- 1924年(大正13年) 大阪・心斎橋に「丹平ハウス」を建設。1階は喫茶で、丹平薬局写真材料部を中心に「丹平写真倶楽部」が集い、赤松麟作の洋画研究所も入居していた[2]
- 1936年(昭和11年) 株式会社に改組
- 1957年(昭和32年) 社名を丹平製薬工業に変更
- 1965年(昭和40年) 現在地に本社・工場を新築・移転
- 1968年(昭和43年) 社名を「丹平製薬株式会社」に変更
- 1973年(昭和48年)「新今治水」発売
- 1987年(昭和62年) 東京・日本橋にタンペイ日本橋ビル(テナントビル)を新築(現在、東京支社が入居)
- 1994年(平成6年) 創業100周年
製品
編集- 新今治水(歯痛の痛み止め)
- コンジスイQ(ゲルタイプの歯痛の痛み止め)
- コンジスイとんぷく(服用タイプの解熱鎮痛薬)
- 健のう丸(便秘薬)
- アスター軟膏(たむし・水虫の薬)
- アトピタシリーズほか
アイデア商品
編集歯垢が赤く染まり、はっきり見えるようになって磨き残しがわかり、しっかり磨く事の出来る「ハミガキ上手」、「こどもハミガキ上手」や、リコーダー専用の洗浄剤「たて笛まるごと洗い」、へそのゴマを取る専用のクレンジング剤「「おへそ」キレイ」などを販売している。
その他
編集- 創業間もない明治期に日本で初めて全国紙に「風吹かぬ日あれど、かぜ引かぬ人はない。丹平の薬を忘れてはならぬ」という、今の企業広告の走りとなる広告を掲載。当時は今治水とアスピリンを模倣した「アンチピリン錠」(今は製造されていない)しか、発売されていなかった製薬会社の名を、世間に浸透させることになった。
- 塩素系漂白剤「アロマ」を発売しているが、元々は丹平製薬ではなく、双信化学工業(1964年まで)→アロマ株式会社が製造販売していたが、1972年に丹平製薬が吸収合併して家庭用品部門にも進出し、現在発売中の「アトピタ」シリーズにも結びついている。「アロマ」は「ニューアロマ」と商標が小変更され2019年に生産、販売終了。
- 「プレイガール」(東京12チャンネル 現テレビ東京)のスポンサーの1社。CM放映。東京進出をねらった(?)効率のよいマーケティング。
- かつては1980年代初頭から2000年頃まで、MBSラジオで昼の時間帯を中心にラジオCMを放映していた。
CM出演者
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 同薬名にて「本舗 森玉林堂」からも販売されていた。 町田忍著『仁丹は、ナゼ苦い?』ボランティア情報ネットワーク、1997年、56頁
- ^ 第三資料室(4)アートも支えた心斎橋筋 心斎橋筋商店街振興組合