丸野勝喜
大日本帝国陸軍軍人
丸野 勝喜(まるの かつき、1872年4月15日(明治5年3月8日) - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
丸野 勝喜 | |
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生誕 |
1872年4月15日 日本 熊本県 |
死没 | 不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1894年 - 1921年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集熊本県出身[1][2]。1894年(明治27年)陸軍士官学校第5期卒業[1][2]。
熊本陸軍地方幼年学校長、天津駐屯歩兵隊長などを経て、1917年(大正6年)8月に陸軍歩兵大佐・歩兵第47連隊長(第12師団、歩兵第35旅団)に任官[1][2]。シベリア出兵に従軍し、ハバロフスクおよびブラゴベシチェンスクを占領した[1]。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。