安全自動車株式会社(あんぜんじどうしゃ)は、東京都港区に本社を置く、自動車整備部品製造販売を主な業務とする日本の企業である。代表取締役は中谷宗平。

安全自動車株式会社
ANZEN MOTOR CAR CO.,LTD.
種類 株式会社
略称 ANZEN
本社所在地 日本の旗 日本
108-0023
東京都港区芝浦4丁目16番25号
設立 1918年大正7年)5月3日
業種 機械
法人番号 9010401001331 ウィキデータを編集
事業内容 自動車整備機器製造・販売
代表者 中谷宗平(代表取締役社長
資本金 1億円
売上高 192億1,800万円
(2024年3月期)[1]
営業利益 7億5,600万円
(2024年3月期)[1]
経常利益 7億7,500万円
(2024年3月期)[1]
純利益 5億300万円
(2024年3月期)[1]
純資産 70億3,000万円
(2024年3月期)[1]
総資産 248億200万円
(2024年3月期)[1]
従業員数 393人(2022年7月1日現在)
関係する人物 中谷保(創業者)
外部リンク https://www.anzen.co.jp/
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概要

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創業から1983年昭和58年)までは、クライスラー系のダッジインペリアルドイツ/西ドイツNSU各車の輸入総代理店として知られた。第二次世界大戦直前にはダッジをベースにした国産乗用車・日光号を製造したり、戦後の外国車輸入制限時代には子会社「安全トヨペット」でトヨタ乗用車を販売した。

かつてはバスボディなど自動車車体製造も手がけ、川重車体工業と技術提携してライセンス生産を行っていた。現在は、主な事業を自動車整備機器の製造に移行している。

沿革

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安全自動車の子会社、安全車体が架装したいすゞキャブオーバーバス(吉野大峯ケーブル自動車

1918年大正7年)5月、初代会長中谷保がアメリカより帰国し、輸入自動車販売および自動車関連産業を事業目的として東京市赤坂区溜池町(現在の港区)に創立。同時に、ライジングサン石油会社(昭和シェル石油を経て法人としてはRSエナジー、事業は出光興産)と特約を結び、日本初となるガソリンスタンドを設立、石油販売の先鞭をつけた。一方、東京代々木に工場を建設し、消防自動車製作、整備用機器、自動車部品の製作を開始。

1927年昭和2年)3月には米国ダッジブラザーズ会社(現在のクライスラー社)と代理店契約を結び、日本総代理店として国内各地に販売・整備拠点を設けた。

1934年(昭和9年)には東京芝浦貨物および乗合自動車の車体製作工場を建設、1938年昭和13年)にはクライスラー系の輸入元であった八洲自動車、京都工商と共に共立自動車製作所を設立し国産乗用車「日光号」を製作販売したが、戦時体制強化によりこの計画はまもなく頓挫する。

1945年(昭和20年)には戦災により本社、営業所、工場等を焼失したが、1949年(昭和24年)にクライスラー社との代理店契約を復活させ、輸入自動車販売を再開した。また、1967年(昭和42年)から1970年(昭和45年)頃までは西ドイツ・NSU社の日本総代理店となり、同社製世界初のヴァンケル型ロータリーエンジン搭載市販車であるヴァンケルスパイダーや先進的な4ドア車Ro80などを少数だが正規輸入した。

1965年(昭和31年)バスボディ製作部門が安全自動車工業として独立[2]

1972年(昭和47年)4月に東京都港区元赤坂に安全ビルディング(地下1階、地上11階)を、1974年(昭和49年)1月には隣に第二安全ビルディング(地下1階、地上13階)を竣工させ、本社機能を移転。

1993年平成5年)3月には本社を港区芝浦に再度移転。現在は自動車輸入販売からは撤退し、車検機器システム(「ラインマスター」ブランド)・足廻り整備機器(「バトラー」ブランド)・自動車整備用機械工具・車体整備機械工具・コンピュータ自動車整備管理システム・環境整備機器・各種洗浄システム・特殊機器設計製作販売及び不動産賃貸業を行っている。

創業者

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中谷保(1885年生)は石川県片山津で農家(庄屋)の子として生まれる。石川県立金沢中学卒業後、19歳で語学研究のため渡米、1907年に在米の貿易会社「伴新三郎商店」に入社し、新三郎の姪と結婚、1912年同支配人に就任、1918年に帰国し、安全自動車を創立[3]。日米製材所、中谷鉄工所の代表のほか、1932年には山王ホテルを創業した。子に保平(二代目社長)、栄吉、軍平、満佐子、林平、時子[4]。兄に衆議院議員中谷宇平。親戚に大分県由布院亀の井別荘」の中谷巳次郎、同「由布院玉の湯」の澤口喜代子、学者の中谷宇吉郎中谷治宇二郎兄弟らがいる。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 安全自動車株式会社 第161期決算公告
  2. ^ 交通報国,p.180
  3. ^ 『通商産業大鑑』1953、p1003
  4. ^ 中谷保『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]

関連項目

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参考文献

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