中田清兵衛
14代 中田 清兵衛(なかた せいべえ、嘉永4年11月20日(1851年12月12日)[1] - 1916年(大正5年)11月12日[2])は、明治から大正時代の実業家、政治家。
なかた せいべえ 中田 清兵衛(14代) | |
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生誕 |
1851年12月12日 越中国 |
死没 | 1916年11月12日(64歳没) |
職業 | 実業家、政治家 |
経歴
編集中田宗右衛門の長男として、越中国(富山県)の代々薬種商を営む家に生まれ[3]、中田蘭甫の養子となる[4]。
1879年(明治12年)、第百二十三国立銀行取締役、その後、第十二銀行頭取に就任[5]。金沢貯蓄銀行、北陸商業銀行を設立し、北陸商業銀行や富山電灯の重役、富山市議、富山売薬同業組合長などを歴任した[6]。
1904年(明治37年)9月29日からは、貴族院多額納税者議員を務め[2][3][7]、1906年(明治39年)9月12日に辞職した[8]。
親族
編集脚注
編集- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』212頁。
- ^ a b 『講談社日本人名大辞典』1366頁、時事新報「時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家」
- ^ a b 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年、な28頁。
- ^ 『講談社日本人名大辞典』1366頁、『コンサイス人名辞典』899-900頁
- ^ 『講談社日本人名大辞典』1366頁、『コンサイス人名辞典』900頁
- ^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
- ^ 『官報』第6964号、明治39年9月13日。
- ^ 『富山大百科事典 下巻』518頁。
- ^ 人事興信所編『人事興信録』第10版 下、1934年、ナ54頁。