中浜 哲(なかはま てつ、1897年1月1日 - 1926年4月15日)は、大正時代の無政府主義者。本名富岡誓。中浜鉄と書いたこともある。

生涯

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福岡県企救郡東郷村に生まれる。家は特定郵便局を経営する旧家だった[1]。私立豊国中学(現・豊国学園高等学校)に進学するも中退して3年間の軍隊生活を送る。除隊後、上京して早稲田大学文科に入学[2]。ただし、小松隆二の調査では、富岡誓なる人物が早稲田大学に入学したことをうらづける資料は残っていないという[3]

1920年加藤一夫の「自由人連盟」に加わる。詩歌、戯曲、小説などを発表。1922年2月、埼玉県蓮田の「小作人社」に加わる。富川町や三河町の人市に出て懸命に働く。8月、立ちん坊を集め「自由労働者同盟」を結成。朝鮮人の同志や社会主義団体に頼まれ単身2週間信濃川朝鮮人土工虐殺事件を調べに行き、9月7日、神田青年会館での真相発表演説会に出席したが、12日間拘留。10月、戸塚町源兵衛に借家を借り、「ギロチン社」の看板を掲げる。メンバーの一人だった倉地啓司によれば「首になった人間の集まりだからギロチン社と名づけた」[4]。ほどなくメンバーの多くは警視庁に拘引、借家も締め出された。代って北千住に新たなアジトを構え、部屋ごとに藍、赤、緑の障子を張った。そのため、アジトは「三色の家」と呼ばれた[5]。この「三色の家」で秘密結社「分黒党」が結成された。帝政ロシア時代の農民団体「分国党」ないしは「黒分党」に由来するとされ[6]、当時の摂政宮へのテロルが目標に定められた[7]

その後、メンバーは大阪方面で「リャク」(クロポトキンの『パンの略取』に由来し、資本家から活動資金を強請り取ることをこう称した)を行なうため下阪。1923年9月1日に発生した関東大震災も大阪で遭遇することになる。16日、大震災の混乱に乗じて大杉栄が虐殺されると、中浜は以下の詩を霊前に捧げて復讐を誓う。

『杉よ!
 眼の男よ!』と
俺は今、骸骨の前に起つて呼びかける。
(略)
慈愛の眼、情熱の眼、
沈毅の眼、果断の眼、
全てが闘争の器に盛られた
信念の眼。
(略)
彼の眼光は太陽だ。
暖かくいつくしみて花を咲かす春の光。
燃え焦がし爛らす夏の輝き、
寂寥と悲哀とを抱き
脱がれて汚れを濯ぐ秋の照り、
萬物を同色に化す冬の明り、
彼の眼は
太陽だつた。
遊星は為に吸いつけられた。
(略)
『杉よ!
 眼の男!
 更生の霊よ!』
大地は黒く汝のために香る。
「杉よ! 眼の男よ!」(抄)[8]

1923年10月4日朝、三重県松阪市路上で分黒党メンバーの田中勇之進が登校中の甘粕正彦の弟照仁(中学生・17歳)の襲撃を図るという事件が発生。田中は尾行刑事に取り押さえられ殺人未遂の現行犯で逮捕。取り調べに対し田中は「中浜哲の教唆に依り決心して殺害せんとしたのでありました」と供述したという[9]。さらに分黒党のメンバーは16日には資金獲得を目的として大阪府下布施の十五銀行小坂支店を襲撃、誤って銀行員を刺殺した主犯の古田大次郎はその場から逃亡して地下に潜伏、従犯の河合康左右、小西次郎、小川義雄、内田源太郎は逮捕され、中浜は恐喝殺人未遂で指名手配となる。1924年4月、「実業同志会」の武藤山治から革命資金提供の約束を取り付けていた中浜は倉地啓司と大阪の「実業同志会」のビルに赴くが、単身ビルに入ったところを駆けつけたトラック2台分の巡査によってがんじがらめに縛り上げられて逮捕される。

1925年(大正14年)5月28日大阪地方裁判所は、中浜ら6人に無期懲役を言い渡した[10](分離裁判で古田は死刑、控訴せず)。1926年(大正15年)3月6日の控訴審では、6人のうち減刑された者もいたが、中浜には死刑の判決が言い渡された[11]。判決後、中浜は上訴権を放棄、一日も早く死刑にするよう主張。同年4月15日大阪刑務所内で死刑が執行された[12]

享年29。最も過激で無頼と言われたが、

手を取りて相笑(え)まん日は何時(いつ)ならん親よ悲しき子を持てる哉(かな)[13]

という歌を遺した。

中浜を演じた人物

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映画

脚注

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  1. ^ 秋山清『やさしき人々:大正テロリストの生と死』大和書房、1980年3月、10頁。 
  2. ^ 古田大次郎『死の懺悔』春秋社、1928年12月、83頁。 
  3. ^ 小松隆二「テロリスト詩人・中浜哲の思想と生涯」『中浜哲詩文集』黒色戦線社、1992年6月、263頁。 
  4. ^ 倉地啓司「ギロチン社」『中浜哲詩文集』黒色戦線社、1992年6月、210頁。 
  5. ^ 古田大次郎『死刑囚の思ひ出』組合書店、1948年10月、148頁。 
  6. ^ 倉地啓司「ギロチン社」『中浜哲詩文集』黒色戦線社、1992年6月、215頁。 
  7. ^ 小松隆二「テロリスト詩人・中浜哲の思想と生涯」『中浜哲詩文集』黒色戦線社、1992年6月、280頁。 
  8. ^ 中浜哲「杉よ! 眼の男よ!」『中浜哲詩文集』黒色戦線社、1992年6月、168-177頁。 
  9. ^ 小松隆二「テロリスト詩人・中浜哲の思想と生涯」『中浜哲詩文集』黒色戦線社、1992年6月、286頁。 
  10. ^ 強盗・殺人の主犯六人に無期懲役『大阪毎日新聞』(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p138 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  11. ^ 控訴審判決で頭目の富岡哲は死刑に『大阪毎日新聞』大正15年3月7日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p138-139)
  12. ^ 富岡の死刑執行、死体受取人検束される『大阪毎日新聞』大正15年4月17日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p139)
  13. ^ 布施辰治『死刑囚十一話』山東社、1930年9月、225頁。 

参考文献

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  • 日外アソシエーツ『近代日本社会運動史人物大事典』1997年。
  • 萩原晋太郎『アナキスト小辞典』同刊行会、1975年。
  • 竹中労『FOR BEGINNERS 大杉栄』現代書館、1985年
  • 松下竜一『ルイズ 父に貰いし名は』講談社文庫、1985年
  • 鎌田慧『大杉榮 自由への疾走』岩波書店、1997年

関連項目

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外部リンク

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