中山 巍(なかやま たかし、1893年明治26年)8月24日[1][2] - 1978年昭和53年)5月19日[1][2])は、岡山県出身の日本洋画家[1][2]

中山 巍
(なかやま たかし)
生誕 1893年8月24日[1][2]
岡山県岡山市[1]
死没 (1978-05-19) 1978年5月19日(84歳没)[1]
東京都大田区[1]
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 洋画
受賞 「マチス礼讃」第8回日本芸術院賞(1951年)[1]
創価文化功労賞(1978年)[1]
勲四等旭日章(1978年)[1]
選出 独立美術協会(1930年 - 1978年)[1]
活動期間 1918年 - 1978年[1]
影響を受けた
芸術家
大下藤次郎[1]
黒田清輝[2]
藤島武二[1][2]
モーリス・ド・ヴラマンク[1]
影響を与えた
芸術家
齋藤求[3]
山本正[4]

来歴

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1893年(明治26年)8月24日、第8代岡山市長中山寛の四男として岡山県岡山市に生まれる[1]

1900年(明治33年)4月、岡山師範学校附属小学校入学[1]。在学中、中堀愛作に啓発されて水彩画を描くようになる[1]

1900年(明治33年)、附属小学校を卒業し岡山県立津山中学校旧制中学校)に進学[1]。同級生に金田廉矢野峰人片岡鉄兵が居た[1]。中学在学中に水彩画から油絵に移行[1]

1907年(明治40年)、奈良県で開かれた大下藤次郎の水彩画夏期講習会に最年少参加者として参加[1]。翌1908年(明治41年)にも鎌倉で開かれた大下藤次郎水彩画夏期講習会へ参加している[1]。同年9月、津山中学の寄宿舎生活に馴染めず関西中学校に転校した[1]

1911年(明治44年)、関西中学校を卒業、卒業日当日に上京し東京府池袋にて下宿生活を開始、葵橋洋画研究所へ入学し黒田清輝に師事する[1]。しかし脚気に罹患し一時帰郷、翌1912年(大正元年)再上京[1]。在学中の同期には鈴木千久馬鈴木亜夫長谷川潔らがいた[1]

1914年(大正3年)から1916年(大正6年)にかけて東京美術学校西洋画科で藤島武二に師事[1][2]。この頃に児島虎次郎に会い親交を深めた[1]。在学中に肋膜炎に罹患し半年間休学したことで留年することになる[1]

1922年(大正11年)、東京美術学校研究科を修了、同年フランスのパリに留学[1]。在欧中に里見勝蔵の紹介でモーリス・ド・ヴラマンクに師事[1]。在欧中は里見勝蔵を始め前田寛治宮坂勝小島善太郎佐伯祐三中野和高高畠達四郎福沢一郎林竜作らと交遊した[1]

また、これらの交遊関係を縁に1924年(大正13年)にはマルク・シャガールオシップ・ザッキンと、帰国直前の1928年(昭和3年)には福島繁太郎の紹介で詩人のアンドレ・サルモンなどと知り合った[1]。同年開いた個展をアンドレ・サルモンは高く評価し、カタログの序文を寄稿した[1]

1928年(昭和3年)帰国後、有島生馬に勧められて在欧時代に描いた作品を第9回二科展に特別陳列、二科賞を受賞した[1]

1930年、在欧時代の友人画家たちを始めとする里見勝蔵、林武清水登之ら13名と共に独立美術協会を結成[5][6]。以後、同会の中心的会員として活躍した[1]

同年、結婚し東京都大田区の大森馬込臼田坂に転居[1]

戦中はバレンバン奇襲占領に活躍した陸軍落下傘部隊の記録画を描くため、南方戦線へ派遣された[7]。このとき描かれたのが「神兵奮戦之図」(1942年(昭和17年))である[8]

1946年(昭和21年)、女子美術大学教授坂崎坦に誘われ女子美術大学洋画科主任教授となる[1]

1951年(昭和26年)4月、第5回美術団体連合展に「マチス礼讃」を出品[1]。同年6月、「マチス礼讃」が第8回日本芸術院賞[1]。なお、在野の受賞は史上初[1]

1958年(昭和33年)、脳出血により以後左半身不随となる[1]。同年女子美術大学を退職[1]

1969年(昭和44年)より第三文明展にも出品を開始[1]。1970年(昭和45年)、紺綬褒章受章。1972年(昭和47年)には日蓮正宗総本山、大石寺正本堂の壁画を手がけた[1]

1978年(昭和53年)5月19日、老衰のため東京都武蔵野市の自宅で死去、享年84[1]。没後創価文化功労賞受賞、勲四等旭日章受章[1]

作品

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作品名制作年備考
「秋の校庭」1914年習作[1]
「自画像」1914年-1915年東京国立近代美術館[9]
「田中館博士の肖像」1916年東京国立近代美術館蔵[9]
「洲崎義郎氏の肖像」1919年東京国立近代美術館蔵[9]
「エロシェンコ氏の像」1920年東京国立近代美術館蔵[9]
「フランス寺院」1922年東京富士美術館蔵[10]
「裸婦」1922年-1928年東京国立近代美術館蔵[11]
「家婦」1924年東京国立近代美術館蔵[9]
「男の全身」1924年岡山県立美術館[12]
「郵便夫」1925年東京富士美術館蔵[10]
「赤いショールの女」1926年大原美術館蔵[13]
「家族」1927年東京富士美術館蔵[10]
「黒衣肖像」1927年大原美術館蔵[13]
「赤ジレの女」1927年東京国立近代美術館蔵[9]
「椅子に座る女」1927年鳥取県立博物館[14]
「女の顔」1929年東京国立近代美術館蔵[15]
「笛吹き」1930年大原美術館蔵[13]
「工房」1930年東京富士美術館蔵[10]
「婦人像」1930年頃板橋区立美術館[16]
「海浜」1931年岡山県立美術館蔵[12]
「大根と小娘」1933年-1968年東京国立近代美術館蔵[9][17]
「神兵奮戦之図(落下傘部隊パレンバン精油所攻撃)」1942年東京国立近代美術館蔵[8][18]
「ギリシャの追想」1939年東京国立近代美術館蔵[19]
「鉄路建設」1943年東京富士美術館蔵[10]
「ジョホール水道渡過」1944年東京国立近代美術館蔵[8][20]
「ペリリュー島守備隊の死闘」1945年東京国立近代美術館蔵[8][21]
「女の肖像」1949年東京国立近代美術館蔵[9]
「アトリエ」1949年岡山県立美術館蔵[12]
「裸婦」1949年-1950年東京国立近代美術館蔵[22]
「遼三彩鉢のある静物」1950年東京国立近代美術館蔵[9][23]
「椅子に寄り立つ女」1951年岡山県立美術館蔵[12]
「マチス礼讃」1951年第8回日本芸術院賞[1]
「絵ガラスと二人女像」1955年岡山県立美術館蔵[12]
「赤い楽本のある静物」1962年岡山県立美術館蔵[12]
「少女」1951年福山美術館蔵[6]
「アトリエの一隅」1952年東京国立近代美術館蔵[9]
「ヴィオロン」1954年東京国立近代美術館蔵[9]
「出土器など」1955年東京富士美術館蔵[10]
「愛好家」1955年岡山県立美術館蔵[12]
「赤い花」1955年岡山県立美術館蔵[12]
「山鳩を飼う老婦」1961年大原美術館蔵[13]
「山鳩をもつ少女」1961年東京国立近代美術館蔵[24]
「山鳩を配せる窓の人たち」1961年東京国立近代美術館蔵[9]
「ガラス器のある静物」1963年東京国立近代美術館蔵[9]
「少女」1961年東京国立近代美術館蔵[25]
「古陶とマジョリカの壺など」1964年東京国立近代美術館蔵[9][26]
「卓」1970年東京富士美術館[10]
「曼珠沙華」1976年東京富士美術館蔵[10]
「高原の花」1977年東京富士美術館蔵[10]
「静物」1927年頃東京国立近代美術館蔵[9][27]
「夕映え」不明富山県立近代美術館[28]
「縞のエプロン」不明岡山県立美術館[29]
「二人」不明東京国立近代美術館蔵[30]
「珊瑚色の服の女」ヨーロッパ滞在中岡山県立美術館蔵[12]
「男の首」ヨーロッパ滞在中岡山県立美術館蔵[12]

出版物

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単著
共著
他著
  • 日本芸術学会『中山巍畫集』建設社、1930年12月。 NCID BA40550099 

脚注

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注釈
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「中山巍」(2014年4月14日)、2016年8月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “中山巍”. コトバンク. 2016年8月30日閲覧。
  3. ^ 鶴岡市所蔵 美術作品” (PDF). 鶴岡市. 2016年8月30日閲覧。中段、齋藤求の項。
  4. ^ 山本正”. 倉敷市立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  5. ^ 冬季所蔵品展1「須田国太郎と独立美術協会の画家たち」”. 福山美術館 (2014年12月13日). 2016年8月30日閲覧。
  6. ^ a b 須田国太郎と独立美術協会の画家たち” (PDF). 福山美術館 (2014年12月13日). 2016年8月30日閲覧。
  7. ^ a b “彩管報国”と戦争記録画” (PDF). 日本大学大学院. p. 5 (2006年). 2016年8月30日閲覧。
  8. ^ a b c d 東京国立近代美術館所蔵(無期限貸与)戦争画美術展 一覧” (PDF). 東京国立近代美術館. 2016年8月30日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 東近美・作品検索結果.
  10. ^ a b c d e f g h i 中山巍 (Nakayama Takashi)の作品”. 東京富士美術館. 2016年8月30日閲覧。
  11. ^ 裸婦”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j 検索結果一覧”. 岡山県立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  13. ^ a b c d 日本の絵画と彫刻 油彩・水彩”. 大原美術館. 2016年8月30日閲覧。
  14. ^ 椅子に座る女”. 鳥取県立博物館. 2016年8月30日閲覧。
  15. ^ 女の顔”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  16. ^ 板橋区立美術館収蔵品”. 板橋区立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  17. ^ 大根と小娘”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  18. ^ 神兵奮戦之図(落下傘部隊パレンバン精油所攻撃)”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  19. ^ ギリシャの追想”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  20. ^ ジョホール水道渡過”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  21. ^ ペリリュー島守備隊の死闘”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  22. ^ 裸婦”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  23. ^ 遼三彩鉢のある静物”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  24. ^ 山鳩をもつ少女”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  25. ^ 少女”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  26. ^ 古陶とマジョリカの壺など”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  27. ^ 静物”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  28. ^ 洋画分野所蔵作品紹介”. 富山県立近代美術館. 2016年8月30日閲覧。
  29. ^ 主な収蔵品”. 岡山県立美術館. 2016年8月30日閲覧。
  30. ^ 二人”. 国立美術館. 2016年8月30日閲覧。
参考文献

外部リンク

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