三浦久 (政治家)
三浦 久(みうら ひさし、1931年1月1日 - 2024年4月3日)は、日本の政治家、弁護士。元衆議院議員(日本共産党所属、通算5期)。日本共産党名誉幹部会顧問[1]。
三浦 久 みうら ひさし | |
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生年月日 | 1931年1月1日 |
出生地 | 日本 秋田県北秋田郡阿仁合町(現:北秋田市) |
没年月日 | 2024年4月3日(93歳没) |
出身校 | 明治大学法学部卒業 |
所属政党 | 日本共産党 |
選挙区 | 旧福岡4区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1972年12月11日 - 1976年12月9日 1979年10月8日 - 1986年6月2日 1990年2月19日 - 1993年6月18日 |
来歴
編集秋田県北秋田郡阿仁合町(阿仁町を経て現在は北秋田市)出身。1954年明治大学法学部を卒業[2]後、弁護士となる。総評弁護団にて三井三池争議の弁護を担当していた縁で北九州市に居住、同地に弁護士事務所を開設。地元北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)から西日本一帯に広まったカネミ油症事件では弁護団の副団長も務めた。
1971年の北九州市長選に社共共闘で出馬するも無所属現職の谷伍平(自民、民社推薦)に敗れる。翌年の総選挙で旧・福岡4区から出馬し初当選を果たす。当選5回。1993年の総選挙で次点に終わる。
北九州市小倉北区の北九州第一法律事務所に勤務していた。自由法曹団員。
選挙歴
編集当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 |
政党内比例順位 /政党当選者数 |
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落 | 北九州市長選挙 | 1971年 | ー | ー | 無所属 | ー票 | ー | 1 | ー/ー | / |
当 | 第33回衆議院議員総選挙 | 1972年12月10日 | 41 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 6万380票 | 13.69% | 4 | 4/9 | / |
落 | 第34回衆議院議員総選挙 | 1976年12月 5日 | 45 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 6万8293票 | 14.84% | 4 | 5/7 | / |
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月 7日 | 48 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 8万570票 | 18.09% | 4 | 4/6 | / |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 6月22日 | 49 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 7万4435票 | 17.19% | 4 | 4/5 | / |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 52 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 7万9154票 | 18.30% | 4 | 4/5 | / |
落 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 7月 6日 | 55 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 7万3412票 | 15.84% | 4 | 5/6 | / |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 2月18日 | 59 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 7万6603票 | 16.05% | 4 | 3/8 | / |
落 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 7月18日 | 62 | 旧福岡4区 | 日本共産党 | 5万3435票 | 12.23% | 4 | 5/7 | / |
脚注
編集- ^ 名誉役員と顧問を承認 あらたに31氏 日本共産党第21回大会
- ^ 明治大学史資料センター『明治大学小史―人物編』 学文社、2011年、92頁
- ^ “三浦久氏が死去 元衆院議員”. 日本経済新聞 (2024年4月4日). 2024年4月4日閲覧。