三条西公時
南北朝時代の廷臣・公卿。従二位・権大納言。勅撰集『新拾遺和歌集』『新続古今和歌集』に3首入集。三条西家初代。
三条西 公時(さんじょうにし きんとき)は、南北朝時代の公卿。内大臣・正親町三条実継の子。母は権大納言・三条公明[1]の娘。内大臣に至った兄公豊とは同母兄弟である。官位は従二位・権大納言。
時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 暦応2年(1339年) |
死没 | 永徳3年3月11日(1383年4月14日) |
官位 | 従二位、権大納言 |
主君 | 光厳院→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇→後円融天皇→後小松天皇 |
氏族 | 三条西家 |
父母 | 父:正親町三条実継、母:三条公明の娘 |
兄弟 | 正親町三条公豊、公時 |
子 | 実清 |
特記 事項 | 三条西家の始祖 |
子・実清は応永13年(1406年)2月16日に死去してしまったため、兄・公豊の子で当時6歳であった公保に三条西家を継がせることになる。
三条西家の始祖
編集祖父公秀が崇光院と後光厳院の外祖父となったため内大臣に昇り、父実継も内大臣に、叔父実音は准大臣に、と一族は大臣家の家格を固めつつあった。そうした一家の興隆を背景に、公時は分家を立てることができた。そして、後に和歌等で名をなす三条西家の始祖となったのである。
経歴
編集以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。