七会村 (茨城県西茨城郡)
日本の茨城県西茨城郡にあった村
ななかいむら 七会村 | |||||
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廃止日 | 2005年2月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 七会村、常北町、桂村 → 城里町 | ||||
現在の自治体 | 城里町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 茨城県 | ||||
郡 | 西茨城郡 | ||||
市町村コード | 08323-2 | ||||
面積 | 63.04 km2 | ||||
総人口 |
2,384人 (推計人口、2005年1月1日) | ||||
隣接自治体 |
茨城県笠間市、常陸大宮市、常北町、桂村 栃木県茂木町 | ||||
村の木 | ヒノキ | ||||
村の花 | ヤマザクラ | ||||
村の鳥 | キジ | ||||
七会村役場 | |||||
所在地 |
〒311-4407 茨城県西茨城郡七会村大字徳蔵637 | ||||
座標 | 北緯36度27分20秒 東経140度15分21秒 / 北緯36.45556度 東経140.25592度座標: 北緯36度27分20秒 東経140度15分21秒 / 北緯36.45556度 東経140.25592度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2005年2月1日に東茨城郡常北町・桂村と合併し、東茨城郡城里町となった。これに伴い、県内で村のまま明治の町村制から平成まで続いた村がなくなった。合併するまで、長い間県内で人口最少の村だった。
地理
編集- 山:鶏足山、花香月山、高取山、八瓶山、高田山
- 河川:藤井川、塩子川、涸沼川、相川
隣接していた自治体
編集歴史
編集沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、徳蔵村,塩子村、小勝村、大網村、真端村、上赤沢村、下赤沢村の七村が合併して西茨城郡七会村が成立。これが七会の名の由来であり、その7つの村を合わせた領域が七会村の領域だった。7ヶ村とも七会村なき今も大字として名を残す[1]。
- 2005年(平成17年)2月1日 - 東茨城郡常北町・桂村と合併して東茨城郡城里町が発足。七会村は廃止。これに伴い、県内で明治期の町村制施行で誕生した村が1度も合併をせずに名前を残しているのは五霞町(1996年に町制施行)のみとなった。(村のまま平成の大合併まで存続した村は七会村のみだった)
変遷表
編集七会村村域の変遷表 | ||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |
徳蔵村 | 七会村 | 七会村 | 平成17年2月1日 城里町 |
城里町 | ||
塩子村 | ||||||
小勝村 | ||||||
大網村 | ||||||
真端村 | ||||||
赤沢村 | 明治元年 上赤沢村 | |||||
明治元年 下赤沢村 |
行政
編集- 村長 阿久津藤男(1987年4月30日〜) 現在は元城里町長(2代目)
地域
編集教育
編集- 中学校
- 七会村立七会中学校(現在は城里町立常北中学校に統合されている)-現在は施設を改修し、グラウンドを芝生化し、水戸ホーリーホックの練習拠点である城里町七会町民センターになっている。
- 小学校
- 七会村立東小学校 (2005年の七会村の合併に伴い城里町立七会東小学校、2011年に西小と統合、城里町立七会小学校へ、1990年までは塩子小学校)
- 七会村立西小学校 (2005年の七会村の合併に伴い城里町立七会西小学校、2011年に東小と統合、城里町立七会小学校へ、1990年までは徳蔵小学校)
- 七会村立小勝小学校(1990年に塩子小と統合、東小へ)
- 幼稚園
- 七会村立七会幼稚園 (2005年休園、2011年廃園)
交通
編集道路
編集名所・旧跡
編集- 徳蔵寺
- 修多羅寺
- 仏国寺
脚注
編集- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 8 茨城県』、角川書店、1983年 ISBN 4040010809より