七ツ島 (鹿児島市)
七ツ島(ななつじま[3])は、鹿児島県鹿児島市の町丁[4]。郵便番号は891-0132[5]。人口は8人、世帯数は8世帯(2020年4月1日現在)[6]。七ツ島一丁目と七ツ島二丁目がある。
七ツ島 | |
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町丁 | |
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国 |
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都道府県 |
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市町村 |
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地域 | 谷山地域 |
地区 | 谷山地区 |
人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在) | |
人口 | 8 人 |
世帯数 | 8 世帯 |
郵便番号 | 891-0132 |
市外局番 | 099 |
ナンバープレート | 鹿児島 |
町字ID[1] |
0123001(一丁目) 0123002(二丁目) |
運輸局住所コード[2] | 46500-1295 |
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かつては大小7つの島が浮かんでいたが[7]、鹿児島臨海工業地帯の1号用地B区として埋立てられ、工業地帯として造成された[8][9]。
地理
編集鹿児島市の南部、臨港地域に位置している。北方には南栄、谷山港、坂之上、南方には平川町、西方には光山が接しており、東方には鹿児島湾に面している。
町域の北部には七ツ島サンライフプールやその周辺に商業施設が所在し、南部は金属加工、食料品などの工場が集積する工業地帯となっている[9]。
町域を南北に鹿児島県道219号玉取迫鹿児島港線が通っており、産業道路の一部として機能している。また、沿線には埋立以前にあった七つの島のうち父島と呼ばれていた島の一部が現存している[10]。
丁目
編集表の上方向が北を示す。
七ツ島一丁目 | 七ツ島二丁目 |
町名の由来
編集「七ツ島」という町名は埋立以前に大小七つの島が附近に所在し、そこが景勝地として知られていたことに由来している[4]。
歴史
編集島としての七ツ島
編集七ツ島は「元禄国絵図」に掲載があり、古くから名勝として知られていた[11]。和田村と下福元村の沖に侵食によって形成された小島が点在していた[7]。海岸線に近い一番大きな島には七ツ島大明神という石祠があり、祭神は市杵島姫命とされている[12]。また、薩摩藩によって編纂された地誌である「三国名勝図会」には七ツ島について以下のように掲載されている[13]。
七ツ島 福本村の海にあり、七の岩島にして、渚を距ること遠からず、景致佳勝なり、其島大なる者廻り二町に足らす、松樹生し、小社あり、七ツ島大明神と號す、祭神詳ならず、當邑宗廟、伊佐智佐権現の末社といふ、天文八年、己亥、卯月吉日、社領一反の文書、當邑社家原口氏に傳ふ、東條某當社を管す、
—三国名勝図会巻十九 谿山郡
七ツ島の埋め立て
編集埋め立てが行われる以前は緑地公園の付近は砂浜となっており、谷山市街地に近いため多くの海水浴客が訪れていた[14]。1972年(昭和47年)10月に埋め立て工事に着手し、1976年(昭和51年)にかけて鹿児島臨海工業地帯の1号用地B区として埋立てられ造成された工業地帯である[8]。205ヘクタールの区域が埋め立てられ造成されたもので、事業費は約263億円であった[9]。埋め立て後も一番大きな島であった父島が保存されており、石碑が設置されている[15]。
町丁の設置
編集埋め立てが完了した後の1977年(昭和52年)11月7日に平川町の一部及び平川町地先の公有水面埋立地より「七ツ島一丁目」、平川町地先の公有水面埋立地より「七ツ島二丁目」が設置された[16][4]。
七ツ島二丁目の区域にあたる鹿児島臨海1号用地B区の用地について石川島播磨重工業と1974年(昭和49年)に売買契約を締結されたが[17]、1988年(昭和63年)の時点で陸上機械部門が置かれたのみでその他は遊休地となっていた[18]。2002年(平成14年)に撤退し、跡地は鹿児島七ツ島メガソーラー発電所が建設され2013年(平成25年)に運転開始した時点では日本の太陽光発電所で最大の発電出力を有していた[19]。
町の変遷
編集変更後 | 変更年 | 変更前 |
---|---|---|
七ツ島一丁目(新設) | 1977年(昭和52年) | 平川町(一部) |
公有水面埋立地 | ||
七ツ島二丁目(新設) | 公有水面埋立地 |
世帯数・人口
編集世帯数 | 人口 | |
---|---|---|
七ツ島一丁目 | 8 | 8 |
七ツ島二丁目 | 0 | 0 |
施設
編集公共
編集- 七ツ島サンライフプール
- 光山公園
企業
編集交通
編集道路
編集- 一般県道
湾港
編集小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[20]。
町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
七ツ島一丁目 | 全域 | 鹿児島市立福平小学校 | 鹿児島市立福平中学校 |
七ツ島二丁目 | 全域 |
脚注
編集- ^ “日本 町字マスター データセット”. デジタル庁 (2022年3月31日). 2022年4月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年11月26日閲覧。
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 486.
- ^ “鹿児島県鹿児島市七ツ島の郵便番号”. 日本郵便. 2025年1月12日閲覧。
- ^ a b “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ a b 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 189.
- ^ a b 南日本新聞開発センター 1993, p. 142.
- ^ a b c 南日本新聞 2012.
- ^ 七ツ島 - NPO法人ゆめみなと鹿児島 2011年7月13日閲覧。
- ^ 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 187.
- ^ 谷山市誌編纂委員会 1967, p. 849.
- ^ 薩摩藩 1843.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 689.
- ^ “史跡めぐりガイドブック(谷山地区)”. 鹿児島市. p. 195. 2021年4月8日閲覧。
- ^ 町の区域の新設並びに変更(昭和52年鹿児島県告示第1370号、昭和52年11月7日付鹿児島県公報第1370号所収)
- ^ 南日本新聞 1990, p. 201.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 301.
- ^ 加藤伸一 (2013年11月26日). “鹿児島・七ツ島、桜島を前に29万枚のパネルが並ぶ、国内最大のメガソーラー”. 日経テクノロジーオンライン. 2020年12月19日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
編集- 谷山市誌編纂委員会『谷山市誌』谷山市、鹿児島県、1967年3月30日 。, Wikidata Q111435390
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅳ』 4巻、鹿児島市、1990年3月15日 。, Wikidata Q111372875
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会「角川日本地名大辞典 46 鹿児島県」『角川日本地名大辞典』第46巻、角川書店、日本、1983年3月1日。ISBN 978-4-04-001460-9。, Wikidata Q111291392
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
- 南日本新聞開発センター『鹿児島開発事業団史 二十八年のあゆみ』鹿児島開発事業団、1993年。
- 橋口兼古、五代秀堯、橋口兼柄 著、島津久光 編『三国名勝図会』薩摩藩、1843年。NDLJP:992137
- 「373ワイドタウン 七ツ島新聞」『南日本新聞』2012年2月14日、17面。