一条教輔

江戸時代前期の公卿。正二位・右大臣。一条家15代
一条教良から転送)

一条 教輔(いちじょう のりすけ)は、江戸時代前期の公卿正二位右大臣。名は始め伊実、次いで教良。法名は後唯心院

 
一条教輔
時代 江戸時代前期
生誕 寛永10年5月2日1633年6月8日
死没 宝永4年1月6日1707年2月8日
改名 伊実→教良→教輔、後唯心院(法名)
官位 正二位右大臣
主君 後光明天皇後西天皇霊元天皇東山天皇
氏族 一条家
父母 父:一条昭良、母:西洞院時直
兄弟 教輔冬基
通姫
兼輝
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概要

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寛永10年5月2日、一条昭良の子として生まれる。母は西洞院時直の娘。1644年(寛永21年)、従三位に叙される。右近衛大将内大臣を歴任し、1655年承応4年)に右大臣に任ぜられる。1659年万治2年)、右大臣を辞任。以後、摂政・関白に任ぜられることなく、子の兼輝が没した2年後の宝永4年1月6日、75歳の生涯を終えた。法名は後唯心院。

家族・親族

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系譜

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一条家

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一条家は、九条道家の子である一条実経を始祖とし、摂家の一つであった。

皇室との関係

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後陽成天皇男系二世子孫である。後陽成天皇の第九皇子で一条家を継いだ一条昭良の子。

関連項目

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